春合宿 槍ヶ岳 (係)三谷


三谷

月日:5月1日(火)~5日(土)
参加者:安藤、吉村

今年度の春合宿は、北アルプス槍ヶ岳にて実施した。当初、中房温泉、喜作新道から東鎌尾根を縦走する計画だったが、予め天気が崩れることがわかっていたため、行程を短縮し、上高地から入山、槍ヶ岳を目指すことにした。
1日昼、広島を出発。連休中日とあって車は割とスムーズに流れた。東海北陸道を経由し高山へ。平湯温泉手前の乗鞍スカイラインの駐車場で車中泊する。天気は下り坂、暖かい湿った風が吹いていた。
2日朝、空はどんよりしている。本日は半日行動の予定だが、雨に濡れないようにするため、早朝の出発とする。あかんだな駐車場に車を停めて、バスターミナルから上高地行きのバスに乗り込む。30分強で上高地に到着。GW中にしては、閑散としている。ほとんどが連休前半に登山を終えて帰る登山者である。真っ赤に日焼けされた登山者が目立つ。
遭対協の方に計画書を提出して、小梨平キャンプ場の中を歩く。雨を警戒して、テントを撤収しているファミリーもいる。
湿度が高くあまりさわやかとは言えない。汗ばみながら林道を歩く。梓川の対岸には、久しぶりに見る明神岳。ご神体としての存在感をあらわにしている。
林道脇には、雪解けを待っていたハシリドコロやニリンソウなどが一斉に開花している。その傍らで子連れのサルが木々の新芽を貪り食っている。
徳沢にも色とりどりのテントが立ち並ぶ。みんなのんびりと、やっと活動を始めた感じである。多くが、キャンプを楽しむ人、すでに登山を終えた人たちだろう。
横尾から先は、槍沢ロッジに至る沢沿いの山道になり、歩く人には出会わなくなる。二ノ俣、一ノ俣を渡り、槍沢本流へと入っていく。これらが合わさって梓川となる。昔は表銀座から一ノ俣を経て槍ヶ岳に登っていたらしい。
いつしか雨雲に覆われて、雨粒がポツポツと落ちて来た。雨脚が強まってきたのでカッパを着込むが、直ぐにやむ。今度は内から蒸してくる。不快に思いながら歩いていると、槍沢ロッジの屋根が見えてきた。ここに訪れるのは3年ぶりだろうか。横尾尾根の岩壁帯が迫る。ここでキャンプの手続きをしてババ平へ向かう。
例年より残雪は少ないそうだ。大きなデブリのある沢を横切る。槍沢から槍ヶ岳を目指すには、この時期まで待たないといけない。
ババ平には新しいトイレが設置されていた。赤沢山の岩壁が威圧的である。石が落ちてこないか心配だ。
ちょうど槍沢を下りてきたパーティーが休まれていた。今朝、稜線では雪が降ったそうだ。今日は高地にいる感覚は無く、寒さを全く感じないが稜線は別世界なのだろう。
時間が早いので、明日予定している東鎌尾根(水俣乗越)の取り付きの下見に出かける。尾根の直下は傾斜があり、落石の跡も見られる。状態はあまり良くなさそうだ。
キャンプ地に戻ったところで雨が降り始めた。急いでテントを張って潜り込む。水は沢で取れるので、水を作る必要は無く時間を持て余す。温かい物を飲んで落ち着くと、話題も尽きる。天気が悪く、なかなかモチベーションが上がらなかったのが正直なところだ。仕方が無いので、食事の準備を始めるが、インスタントなので調理は一瞬で済み、食べるのはもっと早かった。まだ明るいうちに横になる。
雨は一晩中降り続けた。激しい雨音に目が覚め、明日の行程のことをいろいろ思案する。気温が高いため、沢の増水が心配だった。
3日、ゆっくり起きて、雨が止むまでしばらく待機する。翌日強い寒気が入る予報である。降雪も見込まれるため、稜線でのキャンプは危険と判断、槍沢から槍ヶ岳を往復することにした。昼前には低気圧が過ぎるようである。雨雲レーダーを見ながら、朝10時前に行動を開始する(槍沢ロッジ、および、ババ平での携帯電話の電波状態は良好だった)。目の前の岩壁には、大量に降った雨が滝となって流れていた。
低気圧の本体は通過したようだが、前線の影響でどんよりした曇り空である。槍沢上は、赤旗を付けたポールが等間隔に設置してあり、視界不良の場合でも迷うことはなさそうだ。しかし、ルート上にはこぶし大の石が散乱している。大きなデブリもある。東鎌尾根からの落石に注意を払いながら、間隔を開けて通過する。
カール状の地形の中、単調な登りが続く。精神的に辛い登りである。
数名の単独行者が先行するのが見えるが、下山してくる登山者の方が多い。はるばる烏帽子岳から縦走して来られた単独行者もいた。

ガスに覆われて稜線は見えない。今回、始終槍の穂先を見ることができなかった。
すでに3,000mは超えている。高度計を確認しながら登るが、稜線になかなかたどり着くことができない。
やっと東鎌尾根の分岐の標識を見つけた。稜線の視界は10mもなく、風も強い。小屋の位置もよくわからない。槍の肩で風をよけながら小休止する。冷たい風に体温を急激に奪われる。こんな天気では頂上に登る者は誰もいない。
安藤さんが手が冷たいという(後から聞くと、凍傷の初期症状だったそうだ)。手に刺激を加えて対処されていた。体感温度が急激に低下したこと、体力の消耗、脱水などにより血行に障害があったのかもしれない。
最後まで行動中止のタイミングを考えていた。しかし、このメンバーなら行けると判断。コンディションは良くなかったが、気を取り直して頂上に向かうことにする。岩や梯子は雨が凍結して滑りやすく、ルンゼには氷化した雪が付いて悪い。鎖や杭が設置されているとは言え、アイゼンでの登高は難しく感じる。ルートを選びながら慎重に。
強風と寒気に耐えながら、何とか槍の穂先へ登頂した。先日70歳(古希)を迎えられた安藤さん。春の槍ヶ岳登頂を成し遂げる。吉村さんと槍の頂に立つのは2回目。自身初めての槍が安藤さんたちと登った冬の槍、通算6回目(春は初めて)。季節や状況によって想いが異なり、それぞれにドラマがあった。

体が凍えそうなので、写真を撮ってすぐに下山を始める。当然のことながら、登り以上に悪く感じる。
三人揃って再び槍の肩に立ち一安心。
稜線直下の雪の斜面は、寒気の影響で凍り始めている。まだ気が抜けない。傾斜が緩む天狗池分岐の辺りまでは慎重に下る。低気圧通過直後の疑似好天で時折青空が覗いている。正面にピラミダルな常念岳が見えていた。
ずいぶん遅くなってから登って来る韓国のパーティーは、明日以降穂高まで縦走するという。春の槍穂は冬山と同じということをわかっていない。明日は天気が悪くなり、気温も下がることだけを伝えた。
夕方無事キャンプ地に到着。新しく大小4、5張りのテントが張られていた。夜中、雪が降り始める。気持ちが高ぶって、なかなか寝付けない。ぱらぱらと音が気になるが、いつしか静まりかえる。どれくらい積もっただろうか。テントを揺らすと、ザザッと雪が滑り落ちる。
翌朝4日、周辺の景色が一変。一面雪化粧していた。テント周辺に20センチは積もっている。なおも断続的に吹雪が続く。凍った雪面に乾いた雪が積り、雪崩が発生しやすい状態である。さすがにこの状況で登る者はいないだろうと思ったが、単独行者が横殴りの吹雪の中に消えていった。
我々は慌てて凍った雪面を掘り起こし、テントを撤収する。

ゴールデンウィーク真っ只中とあって、こんな悪天候にもかかわらず続々と登って来られる。最初は、吉村さんが「雪崩の危険性」を訴えていたが、すれ違う際に言葉さえ交わさない者もいるので、あきらめてしまった。それでも数名は忠告を聞いてくれた。
槍沢ロッジで一息。横尾尾根の岩壁に向かって手を合わせる。あの冬の出来事が蘇る。
登山道がぬかるみなっていて、ビニールカッパとスニーカーの観光客は悲惨である。横尾、徳沢でも時折激しく雪が降る。桜の花にも雪が積もって冷たそう。山岳救助隊の方がこれから涸沢へ向かおうとする登山者に対して声をかけていた。
うっすら雪化粧した明神岳を見上げながら再び上高地に入る。空の様子が目まぐるしく変化し、実に美しい。何度訪れても新鮮であり、シャッターを切るのに忙しかった。河童橋周辺にはたくさんの観光客が。ある家族に撮影をお願いされたので、穂高バックに撮ってあげた。旨く撮れただろうか。あいにくの天気だが、良い思い出になると思う。
雲の隙間から見え隠れする穂高稜線は、美しさの中に厳しさを感じた。槍穂連峰の山行では、幾度となく試練を与えられた。

やはり、東鎌尾根は鬼門であった。東鎌尾根を計画したのは、これで3回目である。無理に鬼門を通ろうとすると災が起こりそうだ。
気圧配置の隙間を読む、今回の山行は別の難しさがあった。
買い出しをし、高速に乗ろうとするが、ゲートが大変な混雑である。渋滞に遭って時間をロスしたが、快適な車中泊スペースを確保することができた。車中で打ち上げ(反省会)をした。
早朝に出発、昼過ぎには広島に到着した。

<コースタイム>
5/2 上高地7:00→10:00横尾→12:00槍沢ロッジ→13:00ババ平→13:30水俣乗越取り付き→14:00ババ平
5/3 ババ平10:00→14:30槍ヶ岳→17:30ババ平
5/4 ババ平7:00→8:30横尾→9:30徳沢→10:30上高地