夏合宿(戸隠山系)


三谷

月日:2017年8月11日(金・祝)~14日(月) (係)三谷
参加者:横山、宮重(直)
<行動記録>
この夏合宿は、新潟県と長野県の県境に位置する妙高・戸隠連山を登るという計画を立てた。この山域は、平成27年3月に新しく誕生した妙高戸隠連山国立公園に属する。富士火山帯の最北端に位置し、火山地形、高層湿原、神話伝説、山岳信仰、また、一帯は、高山植物に恵まれており、多様な自然景観や歴史文化を堪能できる山域である。北信五岳(妙高山、斑尾山、黒姫山 、戸隠山、飯縄山)と戸隠連峰(戸隠山、本院岳、西岳、九頭龍山、高妻山、乙妻山)のうち戸隠山(1,904)、黒姫山(2,053m)、高妻山(2,352m)、妙高山(2,454m)の四座を登る計画だった。
夏合宿期間中、ゆっくりと東進する低気圧と気圧の谷の影響で、雨または曇りの天気だった。特に山岳地帯はその影響が顕著に表れていた。上層に雲がかかっている状態では、標高が高くなるにしたがい寒気によって霧が雨へと変わってくる。結果的に、黒姫山、高妻山2山を登るのみとなった。
8/11山の日の朝、デリカ号で広島を出発。京阪地区の渋滞を避けるために、山陽道姫路東から播但道へ入り北上。中国道を経て舞鶴若狭道へ入る。しかし、姫路東手前の事故渋滞を予測できず、結局渋滞にはまってしまった。北陸道に入ってからは順調に走り、日本海を見ながら石川の金沢、富山の街を通過する。
北アルプス山並みを楽しみたいところだが、黒部方面は厚い雲に覆われている。車窓から荒々しい親不知の海岸を眺めながら糸魚川を過ぎ、ついに県境を越える。上越道に入ると、視界を遮る豪雨となった。信濃ICで高速を降りて、本日宿泊予定である道の駅の位置を確認して、スーパー・コンビニで買い出しをする。それにしても、梅雨時期に戻ったような激しい雨である。道の駅には車中泊すると思われる車が数台止まっていた。
雨を凌ごうにも適当な場所がないため、車中で食事を済ませる。横山さんと私は軒下で一夜を明かした。
翌朝、雨は上がっていたがどんより曇り空である。午後から回復する予報だったので、ゆっくり朝食を摂った後、出発する。
戸隠方面に車を走らせ、本日キャンプを予定としているイースタンキャンプ場と戸隠キャンプ場を下見する。昨夜雨が降ったにもかかわらず、どちらも多くのオートキャンパーで賑わっていた。林間スペースに車の乗り入れが可能になっていたが、環境・インフラは後者の方が良好だった。きれいなトイレ、水道、キャンプに必要な施設の他、売店やゴミステーションも完備されていた。
初日は戸隠山を予定していたが、岩場の状態が懸念されるため、危険箇所がなく雨天でも登山可能な黒姫山に登ることにした。「雨でも登れる。」この選択が、登るに従って後悔することになる。
黒姫山は信濃町に位置する成層火山である。南東の里地からのぞむ姿は、その形から信濃富士とも呼ばれている。黒姫山の山体崩壊によって渓谷がせき止められ、現在の野尻湖が作られたそうだ。山頂付近は火口原が広がり、七ッ池や大池などがある。
戸隠キャンプ場前の登山者用駐車場に車を止めて、黒姫山の登山口に向かって車道を歩く。大橋の堰堤を過ぎて、大橋登山口で登山届けを出す。そこへ、様子を見に来た一人の登山者が、「(こんな日に)登るんですか」と言われていたが、忠告を無視して修験の道へ入っていく。
粘りのある火山灰土は水はけが悪く、しょっぱなからぬかるみを避けながら歩くことになる。登山道に木道や丸太を渡している理由がわかった。
種池に続き、古池を池畔沿いに眺める。曇り空だが、樹木の緑が映り込んできれいである。木道脇にはコオニユリやコバギボウシなどの高山植物が咲いていた。
古池を過ぎると本格的な山道となる。登山道には水が流れており、まるで沢歩きである。雨が本降りとなったためカッパを着るが、蒸し暑くて不快である。宮重さんは、傾斜がきつくなるまでは傘を差して歩いている。カッパの着用によって、体内の水分を消失するため、これが体力消耗の原因かもしれない。今日一日で行動水1.5リットルを消費した。

しなの木

新道分岐を過ぎると、徐々に傾斜も増している。成層火山なので、上部は立っている。岩や木の根っこの段差を越えなければならず、体を持ち上げるたびに汗が流れる。宮重さんは膝が辛そうである。さすが横山さんは一定のペースを保っていた。自転車・耐暑トレーニングの成果である。
外輪山の縁に入ると傾斜が幾分和らぎ、日が差してきた。風も少し吹いてすがすがしい。乾いた空気をめいっぱい吸い込む。
黒姫山の山体は、頂上部がすり鉢状になっていて、山頂部は外輪山の小高い場所に位置する。本来の山頂は、火口丘の御巣鷹山(小黒姫山)(2,046m)である。
頂上には二人の登山者が休んでいた。キャンプ場の人混みとは裏腹に、本日出会った登山者はごくわずかだった。小鳥がこちらの様子をずっとうかがっている。餌らしいものが散乱しており、餌付けされていると見た。天気が目まぐるしく変わり、休んでいるとまた雨粒が落ちてきた。
下山は、火口へ約200m降りて、大池、七つ池、湿原を周遊しようしたが、下降路を確認すると、笹に覆われていたため断念する。視界が晴れてきたので、ふと見下ろすと、稜線からわずかに池と湿原が見えていた。残念である。もう少し天気と登山道の状況が良ければ、火口巡りを楽しみたかったのだが。
再び、急でぬかるんだ登山道を下り、新道分岐に至る。下山は、池経由ではなく、大橋に抜ける林道経由とした。
林道の道は段差が少ない分歩きやすく、軽快に下っていく。林道の行程の半分くらいを進んでいるとき、突然林道脇の林が「ガサッ」と物音がし、獣のうなり声が聞こえてくる。熊かと持ったが、横山さんはイノシシの姿を見たと言われる。しかも林道両脇に複数匹いるようだ。イノシシが人を襲うという知識はあったため、ここは刺激せずに引き返すことにした。ここからが地獄だった。登り返しは精神的ダメージが大きい。黙々と歩くのみである。やっとの事で分岐にたどり着いた。結局、登って来た道を下山し、道路に出たときは17時を過ぎていた。初日からなかなか過酷な山行だった。
高原の林間キャンプ場は、開放的でとても雰囲気が良い。他のキャンパーと同じように、ターフを使ったキャンプ生活は快適だった。横山さんのファミリー仕様である。周りのファミリーは、上手にターフ、テントを張っている。テーブル、チェアはもちろん、たき火台もある。ここに訪れるオートキャンパーはみな上級者だった。それぞれがたき火をしながらくつろぐ中、ゆっくりと夜の帳が近づいていく。時間をやたら消費しようとせず、時の流れるままに過ごす生活もアリだと思った。広いキャンプ場なので、夜出歩く際は迷子に注意が必要。

ベースキャンプ

食料係は、宮重さんにお願いした。ナムル、ジャージャー麺は疲れた体に染み込んだ。そして、お疲れ様のビールをいただく。
翌朝、疲れた体に鞭を打ち、活動再開である。忘れてはならないが、この山行は山岳会の合宿なのである。明るくなると、早くも登山者が前を通り過ぎる。
8/13本日は、キャンプ場起点に高妻山へ登ることにした。どんより曇り空であったが、午後から晴れる予報だった。連休中の天気は、今日が一番安定していたようだ。
広義の戸隠山は、戸隠表山、西岳、高妻山を含む一連の岩山。百名山の一つ高妻山を深田久弥は、「立連なった戸隠表山の端に、ひときわ高く峰頭をもたげている高妻山」と表現している。孤高の山で、百名山のうちでもロングコースの一つとあって、概して登山者は少ない。
広大な戸隠牧場が隣接しており、馬やポニーと触れ合える観光牧場も開設されている。牧場からは戸隠連峰のパノラマが見えるはずだが、あいにく今日も稜線は雲に覆われている。
登山補導所では、遭対協の方が登山届けを受け付けていた。ホームページから提出済みの旨を伝えると、連日の雨で登山道が荒れているそうだ。「暗くならないうちに下山するように」と、注意を促された。
牧場ゲートを抜け、大洞沢沿いの道に入っていく。所々登山道が崩壊していて、支沢から土砂が流入している。一般の登山道にしては、状態は良くない。渡渉を数回繰り返しながら高度を稼いでいくと、突然滑滝が見えてきた。左岸に鎖が掛けられている。ステップが刻まれているとはいえ、あまり下りには使いたくないルートである。

滑滝
幕岩

そして、不動滝の見える帯岩にぶつかる。バンドに沿ってトラバースしていく。足場が切ってあり、新しく付け替えられた鎖があるが、ここも滑りやすい岩場なので神経を使う。さらに登ると、最後の水場である氷清水。飲んでみると、本当に冷たい氷水であった。岩の隙間から冷気が出ていたため、火山帯に見られる風穴の一種と思われる。
沢の水が絶えてからしばらく登ると、稜線に出た。小さな避難小屋が建っている。ここが一不動であり、戸隠山と高妻山への分岐点に当たる。天気のせいもあるが、薄暗くじめっとした陰気な印象を受けた。
いくつかの小ピークを越えながら、五地蔵山に向かって歩く。一不動を起点として、五地蔵山への稜線には、二釈迦、三文殊、四普賢と菩薩が置かれている。以降、最終の乙妻山まで十三の石祠(せきし)が置かれている。かつて乙妻山まで登拝した山岳信仰の名残が見られた。

  • 一不動(いちふどう) 不動明王
  • 二釈迦(にしゃか) 釈迦如来
  • 三文殊(さんもんじゅ) 文殊菩薩
  • 四普賢(よんふげん) 普賢菩薩
  • 五地蔵(ごじぞう) 地蔵菩薩
  • 六弥勒(ろくみろく) 弥勒(みろく)菩薩
  • 七薬師(ななやくし) 薬師如来)
  • 八観音(はちかんのん) 観音菩薩
  • 九勢至(きゅうせいし) 勢至菩薩
  • 十阿弥陀(じゅうあみだ) 阿弥陀如来
  • 十一阿しゅく(じゅういちあしゅく) 阿しゅく如来
  • 十二大日(じゅうにだいにち) 大日如来
  • 十三虚空蔵(じゅうさんこくうぞう) 虚空蔵菩薩

樹林帯を進んでいくと、五地蔵山のピークに出る。地形図上の一つ前のピークである。さらに尾根上を歩くともう一つのピーク、六弥勒に到着する。ここから派生する尾根が弥勒尾根であり、下山路となる弥勒新道である。
六弥勒で東西に尾根を分けており、今度は進行方向を西に変える。霧に覆われて下までは見えないが、右側が断崖となったやせ尾根が続く。北の斜面には様々な草花が咲いている。2053mの小ピークを越えると、見通しのきく尾根道となる。岩場には黄色のキリンソウやコガネギク、白色のココメグサやホソバヤマハハコ、紫色のハクサンシャジンが咲いている。ここは、目を凝らせば高山植物の宝庫であった。そして、三角錐の秀峰が見えるはずだが、雲に覆われて、とうとうその姿を拝むことができなかった。
八薬師から九勢至を経るころから急な岩場の登りになる。第二の核心、胸突き八丁の登りである。長丁場、最後の登りに、息が上がる。修験者のごとく、連日の難行苦行の登拝となる。急登を登り終えて岩塊を縫うように歩くと、十阿弥陀の青銅鏡と石祠がある。その北側に高妻山の山頂がある。何とか登頂。残念ながら展望はない。キャンプ場から約5時間の行程だった。
下りに備えて靴紐を結び直し、宮重さんは膝にサポーターを付ける。頂上からしばらくは、段差のある岩場を慎重に下る。
一瞬視界が晴れて、戸隠山に続く稜線や高妻山の荒々しい岩の斜面を見ることができた。天候の優れなかった連休中、今日が一番安定したようだ。眼下の渓流は、裾花川の上流にあたるゴルジュを伴った急峻な谷である。
我々はそれほど速いペースではないが、先行者を交わす。男女のパーティが多かったが、女性の方が粘り強いようである。男性の方は長い下りで膝が辛そうだ。六弥勒に近づいても登ってくる登山者がいる。このペースで頂上に登って降りると、明るいうちに下山するのは難しいだろう。百名山目指す人は、体が元気なうちにこの山を登った方が良い。

高妻山の稜線

 

六弥勒で小休止して、最後の下りに備える。弥勒新道は、尾根に沿って一気に下っていく。笹の根が滑りやすく、歩きにくい道だった。2時間の下りで、やっと牧場の草原が見えてきた。今日は何とかアクシデントなしに行程を終えることができた。
今朝通った牧場ゲートのところに救急車が停車している。聞くところによると、下山中に動けなくなった登山者(病人)がいるとのこと。なかなか険しい山域なので、最後果ててしまう方もいるだろう。
キャンプ場に戻ったところで、湿っぽい装備を干す。汗と雨とで全身ドロドロになっているので、戸隠温泉に入りに行くことにする。芋の子を洗うくらいのお客さんの数だった。「天の岩戸」伝説が残る戸隠神社一帯には、多くの観光客で賑わっていた。外国人の姿も見られる。今日は迎え盆、路地に蝋燭を灯す姿が見られた。戸隠流忍術の伝わる戸隠は、忍者村などの観光スポットがある。いつの日か、戸隠に参拝してみたい。
晩ご飯は、炊き込みご飯に、具材を一つ一つ皮に包んで、ぱりぱりに仕上げた本格餃子。ここまでできるのだから、山ごはんをもっと研究せねば。
8/14、テントを撤収し、2日間お世話になったキャンプ場を後にする。今日は妙高山に登る予定。登山口である燕温泉に向かう。標高差はあるが、日帰り可能なコースを辿る予定。地上天気は曇りとなっていたが、燕温泉の登山用駐車場では霧雨が降っている。準備中の他の登山者も空の様子をうかがっているようだった。横山さんは軽い頭痛を訴えており、宮重さんは膝の状態が思わしくない。連日の雨登山で疲労が蓄積しているため、冷たい雨の中を登るのは望ましくないと考え、登山を中止することにした。天気はこれより下り坂になり、待機しても条件は悪くなるばかりである。雲に隠れた妙高の山々が名残惜しい。これも自然相手だと納得して帰路につく。
道の駅「あらい」でお土産を購入する。新潟のお酒がたくさんあった。笹の葉に包んで蒸し上げた笹餅はおいしかった。帰りも渋滞回避コースで大きな渋滞に遭うこともなく帰広することができた。

ココメグサ

<コースタイム>
8/12 黒姫山西登山口7:30→8:30種池→8:30新道分岐→11:30黒姫山→14:00新道分岐→14:30林道引き返し地点→15:30新道分岐→17:30駐車場
8/13 キャンプ場6:30→牧場ゲート7:00→8:40一不動避難小屋→10:00五地蔵山→12:00高妻山→13:50六弥勒→16:30キャンプ場