7月12日~13日例会山行 三倉岳雨トレ  横山


三谷 和臣

<参加者>宮重(直)、神庭、田房、中島、蒲田、三谷
<感想文>
 土曜日は天応に入る予定にしていたが、天気予報は疑う余地なく雨、山口は警報が出ているとのことで、あえなく中止にしてしまった。見事気象庁に裏切られて、日中は薄日が差して一滴も降らなかった。もったいないことをしたと思いながら、腹いせに玖波から草刈りに入ろうと考えていたところ、激務を押して神庭君が広島に来るという連絡があり、続いて、夜暇だからと(これは私のセリフだが)田房さんも前夜だけ参加と言うことで話がまとまった。車を回送するために15時過ぎに三倉岳に落ち合い、1台で憩いの森に向かう。3人で17時前に歩き始め、薄暗くなった頃峠に到着する。そこからそれぞれ武器を持って草刈りを始める。木々が被い茂り鎌は余り役に立たない。こんなときは鋸が威力を発揮した。短時間であったが、足下や頭上の視界が広くなり改善されたようだ(鎌、ハンマー、バイルなど色々振り回すのが好きな神庭君の業だが)。一段落ついたところで、横山さん、中島さんと合流する。ビールの泉で適量を補給し、三倉岳のキャンプ場に向かう。労働後のビールはかなりうまかった。途中児島さんも激励に来られ盛り上がったが、我慢して0時頃就寝となった(これが恐羅漢ならendlessだっただろう)。早朝、田房さんは別の山域でボッカトレのため帰って行かれた。本当にお疲れさまでした。
 翌朝、かなり雨が降ったようで、地面は濡れている。おそらく、壁も。当日参加の宮重さん、蒲田さんが加わり、8:30、今にも降り出しそうな空模様の中出発する。横山さん、蒲田さん、宮重(直)さんは、A、Bフェース方面に、中島さん、神庭君、三谷は下の岳に取りあえず向かう。我々は人工なので、塗れていても大丈夫だろうと準備を進めていると、横山さんから電話が、「壁は濡れとる?」「はい、びちゃびちゃです」「了解」。そうこうしているうちに、空から冷たいものが…、段々と量も増えてくる。また横山さん、「そっち降っとる?」「はい、降ってます」「こっち降ってないから来る?」(そんなわけないと思いますが)と誘惑されるが、準備を進める二人の視線を感じながら、「い、いやっ、これから取り付きます」「はい、了解」。少し弱気の私に反して、二人とも登る気満々。「神庭君リードする?」これは直ちに却下され、私がリードすることになった。こんな日に岩登りなんて狂ってます。岩登りは乾いた岩で、という固定概念を覆された。気の弱い私は、やめて降りようとは言えず、ロープをつけて取り付く。前回のリベンジだが、状況が違いすぎる。神庭君は、ガスに被われた岩峰を、中国みたいと言い余裕がある。人工とは言え、ピッチの最初と最後の2、3歩がフリーなので、極度の緊張の中、沢登りの感覚で登る。何とか、アブミの掛け替えに移ったが、滑らないよう慎重を期してプレートに乗る。しかも間隔が遠い。風まで出てきて最悪の気分である。また恐怖の滝谷を思い出す。それなのに、下の二人はべちゃべちゃ楽しそうにしゃべっている。何と思いやりのあることだろうか。最後はボルトに足を乗せて突破し、ほっとする。フォローは走るように登ってきた。2P目は練習と言うことで、ロープを結び直してリードを中島さんに交代する。余裕の中島さんは、ぶつぶつ独り言を言いながら、時折歌声も聞こえてくる。ところが、突然上から何か落ちてきた。私の○○○残置に匹敵する。フォローする頃には土砂降りになる。2P目を登り切ったところで、滝状になった壁を懸垂下降する。水を吸ったロープがエイト環で搾り取られ、暖かいしぶきが顔にかかって逆ウォッシュレットである。装備をまとめて急いで下山する。炊事棟では別の団体さんが、なぜか服もロープも濡れていない。ロッジでは、横山さんたちが頂上往復を終えて休んでおられた。
 ここで、お疲れ様でしたと終わらないのが山岳会です。帰り道が最悪な状況なのはわかっているのに、濡れたついでに強行する。しかも、ロープなどがたくさん水を含んで重量化されている。土砂降りで潤って喜ぶのは、カエルと子供と山岳会だけである。道には川が流れており、折角の草刈りの効果も薄れてしまった。何度か激流の沢を渡り、全身、全装備たっぷりと水を吸って終えた。今後、この様な山行を雨トレ(命名:中島)と名付けます。みなさん、雨の中お疲れさまでした。前回のかぶれが直らないまま、今回も体が痒いです。 (記:三谷)

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