2002~2003年冬合宿蝶ヶ岳~大天井岳(12/28~1/2)


三谷 和臣

 新幹線口で名古屋行きの夜行バスに乗り込む。児島さんにパーティーを頼むように言われ、改めて気の引き締まる思いがした。
 初日、徳沢へのアプローチでは、明神岳主峰に突き上げる急峻な東稜が手に取るように分かる。明神岳は秀峰だと思う。険しく格好の良い山容を見ると、むしろ穂高・槍より魅力的な山である。それぞれに、明神岳に登るイメージを思い描いていた。
 2日目徳沢、1時間の朝寝坊のためにテントを撤収する頃には既に明るかった(後に、冬の1時間はいかに大切かを思い知ることになる)。放射冷却のためによく冷え込み-21℃を記録した。鼻の中の水分が凍るのが解る。長餅尾根は登り出しから胸を突くような急登である。冷え切った体はすぐに、汗ばんできた。ただつづら折れのトレースを辿りながら、機械的に高度を稼ぐが、時折見える穂高連峰は、疲れを忘れさせてくれる。いったん傾斜がゆるむが、長餅山の登りで再び傾斜が増す。長餅山を過ぎると平坦になり、やがて蝶ヶ岳山荘が見えてくる。長かった登りを終え、稜線に出ると途端に烈風にさらされる。耐えかねて、小屋の影で目出帽等、暴風対策に徹する。本日の幕営予定地は、強風を避けて蝶が岳と常念岳の最低コルの樹林帯とする。そこには、1パーティーが整地中だった。我々は風がなく、景色の良い(夜景の見える)最も適していると思われる場所を選択した。
 3日目、常念岳手前の小ピークを目指してラッセルから始まる。小ピークに達する頃、ご来光を拝むことができる。そして、一面に広がる雲海、朝日に照らされるダイアモンドダスト。冬は景色の最も美しい季節といえる。鞍部で、樹林から岩稜帯に変わるため、ワカンからアイゼンに履き替える。常念岳は予想以上に大きかった。途中、ヘリコプターが我々の頭上を旋回している。浅はかにも手を振ってしまったが、どうやらテレビの撮影のようである。2時間休みなしの登りで疲労が蓄積され、ペースが停滞気味である。これも、初日の1時間の寝坊のために、朝余分なラッセルをしたためである。常念小屋は、冬季営業している。管理人は一冬ここで過ごすらしい。登山者の少ないこの山域で、いったい何をして過ごすのだろう。存在する時間が全て自分の物になるので、考えようによっては幸せである。暖かいストーブの近くで一息つくが、根が生えそうなので早々に出発する。時刻は正午を回っていた。大天井までは行くか否か判断に迷うが、後のことを考え頑張ることにする。しかし、常念の登下降でエネルギーを使い果たしたのか、とても、大天井に辿り着けるペースではない。敢え無く引き返すことにする。この時点で総合的に見て、槍ヶ岳への道は絶たれることになった。しかし、エスケープルートである燕への道が楽だというわけではない。シベリアには強い高気圧、日本海と四国南岸には弱い低気圧、これが発達しながら通過すると天気は荒れ模様となる。逆にここからが正念場だ。テントは小屋裏の樹林帯に、雪を切り出して張った。
 4日目、いつものように4時起床、しかし、2時間で出発することができない。食事を終えて、テントを撤収するまでの時間が遅いように思う。冬のテント撤収はやっかいなので、よっぽどの吹雪でない限り、食事後はすぐ荷物を放り出し、全員で取りかからないといけない。予測を反して、天気は非常によい。アイゼンで昨日の登りを登り返す。途中、雲海の中から浮かび上がる、初日の出を拝むことができた。穂高・槍連峰は赤、紫、黄と刻々と色が変わり、写真集でしか見られないような風景を目にすることができた。何度も立ち止まり、大自然の神秘に目を奪われる。大天井岳までは、カール状地形の斜面をトラバース、小刻みにアップダウンを重ね、快調に進むことができた。稜線上で吹雪かれなかったというのは、幸運以外の何者でもない。いや、冬ではまずあり得ないことだろう。槍ヶ岳の東鎌、北鎌の尾根がダイナミックに迫る。大天井岳に近づくと写真愛好家が、シャッターチャンスをじっと待っていた。シュカブラに足跡を付けてしまって少し申し訳なく思った。大天荘の小屋の前で、各自行動食をとってエネルギーを蓄える。大天荘には冬季小屋がある。大天井岳に登ると、裏銀座、後立山連邦を一望することができた。東鎌への下降路を確認すると、早々に下る。既に燕山荘は見えているが、先は長い。下りは岩稜の急斜面で、ちょっとした雪壁、岩のクライムダウン、トラバースがある。鞍部からは梯子と鎖があるが、見た目より大したことはない。さらに、巨岩を縫うような形で進む。途中、雪の詰まったチムニーを下る。トンネル状になっており、とても窮屈だが、変化がありおもしろかった。燕山荘周辺は予想通り強風にさらされ、幕営には適さない。日暮れのリミットまで、合戦尾根を下ることにする。1時間ほど下ると、合戦小屋に達した。ここまでくれば安全だが、まだ標高は2500m以上あり、油断は禁物である。睡眠はしっかりととる。
 最終日、外は吹雪だった。今回初めて冬山らしかった。樹林帯にはいると風は収まり、後は黙々と下る。中房温泉からは、続々と登山者が登ってくる。他の山域と違い、頂上には営業小屋があるということで、気楽さがあるのだろう。中房温泉でタクシーの予約をとり、林道を延々と3時間ほど歩くことになる。しかし、さすがに緊張は和らぎ、足取りも軽い。気のゆるみのため、トンネルの氷で派手に転倒。ゲートで凍り付いた荷物を店開きした後、タクシーで穂高駅、JRを乗り継ぎ松本へ。温泉で5日間の垢と疲れを落とし、トンカツ屋で打ち上げとする。このビールはまた癖になりそうだ。待合室で仮眠をとり、夜行へ乗り込んで、3日朝には無事広島に着くことができた。今回は、リーダーの出る幕はなく、メンバー全員の頑張りのおかげで無事終えることができました。ありがとうございました。そして、ご支援くださった会員の皆様ありがとうございました。

 現状、私、いや、山岳会に課せられた宿題をたくさん残している。ステップアップのためにも出された宿題は、やり遂げないといけない。具体的な山域はここでは書きませんが、今年の冬は穂高を目指します。春はそのためのトレースを実施します。最近の山行の多様化においては難しいですが、一年を通じて山行をともにしてきた仲間と感動を分かち合える合宿を作り上げていきたいです。そのためには、四季を通じて天応に通い、アイゼンを履いてボッカをし、雪のある限り大山に通い続けることで、冬山への確実な道をつけることができると思っています。それぞれ、仕事、ハンデを抱えていますが、それを乗り越えるのも合宿への取り組みの一つです。

 怪我から丁度一年。予想以上のペースで登ってきているせいで、いっこうに直る気配がありません。しかし、山を我慢するより、痛さを我慢する方がまだましである。今回も痛みをこらえての山行だったが、何とか歩き通すことができ自信となった。目標は達せられなかったが、冬の北アルプス縦走は初めてであり、良い経験となった。

コメントを残す