雪彦山(比叡山改め)


宮重(直)

11月22日(晩)~24日
参加者
中島、神庭、林(同行者:両粂、新山、池本、西本、一之瀬、後藤)

クラ技も定着してきて、新人たちをマルチピッチにご案内しようと計画した九州比叡山だったが、案内文が極悪だったためか参加希望者は1人。場所の変更はやむをえないと思っていたところ、両粂スクール(以下、くま組)が同じ日程で雪彦にいくという情報を入手、早速渉外し車とキャンプ合同計画が出来上がった。ここで、雪彦なら現地に直接と言う滋賀支部員と山陰支部員が各1日ずつ合流し、好きに登っちゃえみたいなことになった。

くま組のうち2人と同乗し大町を出発。あと1人を西条で拾うべく山陽道に乗ろうとした。思えばこれが始まりであった。広島~志和事故通行止め。山陽道のトラックが一気に流れ込んだ2号線へと突入、30分で到着するはずの西条に着いたのは2時間後の23時・・・それから認知症の老人が逆走し封鎖された直後の倉敷を走り雪彦に着いた。んで、荷物をおろしヘッドライトの役目がすんだデリカを移動させた瞬間、バリバリッという音。音の主はねこしのメット。いくらヘルメットでもデリカに踏まれては・・・

23日
林現着。相当な寝不足だったが、朝食を済ませクライミングの準備をする。くま組は3峰へ。我々は雪彦初めての林に楽しんでもらおうと地蔵岳東稜へ。ノーマルでは物足りないかなぁとオリジナルルートをリードを交代しながら登ることにした。A2とか出てきてもノーマルに逃げるつもりでアブミは置いて行った。東稜への取り付きへは前回のおぼろげな記憶を頼りに右往左往しながらなんとかたどり着いた。この間、2パーティが前を行った。そのうち1パーティは東稜での先行パーティとなり、難度の高いルートを組み合わせて頂上まで抜けていた。こういう登り方ができるようになったらいいなと思った。さて、我々はまず中島リード。ピンのほとんどない波打ったようなフェースを2ピッチ。これからオリジナルルートはアブミで大ハングを抜けるので割愛してノーマルへ合流。少し傾斜のある楽しいフェースになったのでリードを林に交代。コンテを交えて遭難碑の下のテラスに到着。ここから、稜線がノーマル、側壁を登るのがオリジナルルートだ。側壁は垂壁で中間部のバンドから真ん中にクラックらしきものが見えるが、そこまでの手がかりが乏しい。稜線は陽があたっているが、側壁は北面になり暗くて寒い。印象は中の下といったところだったが、ネコシの「ここ前来たとき登った」の声に励まされて林取り付く。かなり奮闘したのだが、悲しいかなリーチの差でバンドにあるボルトにクリップすることができず撤退、ノーマルルートへ。ここからは、3峰の頭が良く見えて、陽のあたる暖かそうなピークで何やらもぐもぐと食べているまゆみさんが見えた。コールしてみると、「コラッ」と返事が返ってきた。我々も気を取り直して出発である。この時点でかなり身体が冷えていた。今日の稜線は風が抜け、時折当たる太陽の日差しに気を取り直しながらここまできた。Ⅲ級の稜線を過ぎ、またコンテで歩くと、頂上フェースである。ここで交代しては係がすたる。気持ちよいフェースを抜けて頂上へ出る快感を味わってほしかった。林リードのまま頂上フェースへ。このフェースは一見、手がかりもピンもなさそうに見えるが、登ってみると案外手がかりも多く、登りやすい。最初階段状のルンゼを6~7メートル登った後に右上するものだ。ここで林は階段状のルンゼのあと、そのままルンゼ上をあがっていった。フェースよりもグレードが落ちる分、安全ルートであろう。しかしその後ルンゼを数メートル上がったあと右に移り四角に張り出した岩の凹角の中のクラックにカムを決めた。凹角の上部はブッシュで上の様子もわからない。カムが足元になり動きが怪しくなり始め、係がビレイの体勢を整えた瞬間だった。ロープが引っ張られ、プツッという手ごたえ、「カム抜けた」と思ったとたん、逆さまになって落ちてくる林が目に入る。ロープが引かれている感じはなく反射的に手元にあるロープを手繰り、彼女が止まった。グランドこそしなかったものの大フォールである。林の顔は血の気を失っていたが、意識はしっかりしていた。ロープを少しずつ出し、ネコシにフォローしてもらいながらテラスへ。とにかく全員落ち着こう。不行岳北壁から「大丈夫ですかぁ~」と声がかかる。意識クリア、歩くこともできる。大丈夫?とにかく落ち着こう。痛みは手の指と膝。歩くことはできそうだ。トップをネコシに交替し、最終ピッチは自力でフォローしてもらい頂上へ抜けた。あとは登山道なので膝痛をこらえて歩いてもらった。荷物はネコシの背中へ。神社と同じ高度まで下ったところでうしろから不行から声をかけてくれたパーティに抜かされたが、そこですかさず声をかけるネコシ。「すみません、けが人なんで車に載せてやってはもらえませぬか・・」彼らは神社に車を置いてきているらしい。林を頼んで、係とネコシはテン場まで歩いて戻った。テントではまゆみさん、池さん、西本さんがさすがに暗くなりかけても戻ってこない我々を心配していた。
状況を簡単に説明して、林は医者の診察を受けるべく帰宅することに。ネコシと係は雪彦神社にお参りに行くことにした。お賽銭を握って暗くなりかけた道を歩き始めたはいいが、鳥居をくぐっても神社らしきものは見当たらない。ヘッドライトがあるとはいえ、暗がりの中をライト一つで探すにはあまりにもコワーイ。そこで、鳥居のすぐ前にあった地蔵堂に無理やりお賽銭をねじ込んで、今日の無事のお礼と明日の無事を祈った。
テントに戻ると買出し部隊も帰ってきて、宴会がはじまった。今回はホンとに至れり尽くせりである。8時には到着すると言う神庭を待てずに7時過ぎに沈没。ネコシと係は4人用テントに移動し神庭を待つ。ほどなく神庭到着。奥様お手製の10人分ミートローフを持って・・・しかし、これが3人で完食、明日のルートや、おめでたい話題のうちに。

24日
今日は、前回より気になっていた不行の弓状クラックを目指す。3峰経由がすっきりしているので神庭リードで東稜へ。今日は昨日のようなことがあってはならない、雪彦神社に向かって礼拝の後、3峰ピークのタイムリミットを11時とし、スタート。前回アブミで抜けた記憶のある1ピッチ目だったが、神庭はフリーで突破。しかし、慎重派は相変わらずでそれほどペースが上がらない。気楽に行こうよの2ピッチ目もまた慎重路線でいってしまい、結局3峰ピークは12時前となった。地蔵岳を見るとくま組が頂上フェースへ取り付いているところだった。タイムリミットを過ぎたことはもちろんだが、このペースでは明るいうちに不行を抜けれるかもわからない。我々もこれで終了することに決め、暖かいピークに腰かける。地蔵の頂上フェースは結構な迫力で見えて1人、又1人と登っていくのが良く見える。くま組総勢6人が頂上に抜けた頃、コールしてみる。「写真取るよ、せいれーつ!!」の声にまるで先生の号令に従う小学生のように6人がきれいに並んだ。そうそう、岩場では頭の上がらない両粂さんやまゆみさんまで・・・これってこういうときしか味わえないよね。満喫満喫。昨日と打って変わって貸切状態となった両ピークから写真を撮りあって、それぞれ下降を始めた。3峰からの下りは同ルート下降も気になったが、前回とおった不行とのルンゼをラッペルを交えて下ることにした。ラッペル星人の神庭は、彼にとっては初めてのこのルンゼの下降中ずっと、目をキラキラさせながら「楽しい楽しい」を連発しながら先導していった。

天候に恵まれて概ね予定通り行動ができ、クライミングに関しては課題がたくさん見えた遠征となった。
また今回は会員外のパーティと一緒にキャンプし、岩場ではコールしながら登るという楽しみつきだった。そしてキャンプ道具一式くま組にお世話になりお宅拝見って感じになった今回、これはとてもよいことのような気がした。きっと神庭はすでにチャブ台作ったにちがいない。

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