春合宿爺ヶ岳東尾根


三谷 和臣

月日:5月2日~5月5日
参加者:安藤、川崎、平本

5月2日、太平洋岸を中心に豪雨をもたらした低気圧は、発達しながら日本列島を通過し、その後春の嵐をももたらすことになる。加えて、低気圧は非常にゆっくりとした動きだったため、晴れ間をついて入山した登山者に対して大きな影響を与えた。その結果、後立山で同時に7名の方が亡くなる惨事が発生することとなった。
3日午後から晴れ間がのぞいていたが、既に4日の早い時間には天候が崩れ始め、嵐(暴風雪)の到来までは、わずか数時間のことであった。以降、6日までは不安定な天候が続いた。特に、稜線上で行動中のパーティーは、急激な天候の変化への対応は難しかったのではと感じる。

さて、3日朝、途中渋滞もあったが、ほぼ予定通り大町の安藤さんとの合流することができた。安藤さんは、某展望台の東屋に一人さみしい宿泊だった。
現地でも雨。昨夜からの雨は我々と一緒に東へ移動していった。初日に濡れるということは、その後の行動へ支障をきたすと考えて、本日は沈殿とした。ちょうど、近くで宿泊していた遠征隊チームの名越さん、吉村さんらと合流することができた。雪崩の危険によりルートを変更されたそうだ。また稜線上も雨だったそうだ。その他、いくつかの情報を得ることができた。
沈殿決定後、係は計画の練り直しのことで頭がいっぱいである。検討の結果、赤岩尾根は雪の状態が悪いと判断し、爺ヶ岳東尾根からの本峰往復を基本的な計画とした。1日で稜線に出て、時間および天候次第で鹿島槍方面を往復することにした。東尾根は係にとって未知のルートである。そこで、有り余る時間を利用して、登山口まで偵察しに行った。川﨑号の最新ナビによって、鹿島槍スキー場まで導かれた。進路を修正し、鹿島集落(爺ヶ岳スキー場)へ向かう。東尾根の登山口となる鹿島山荘は、神社のすぐわきにある。鹿島山荘は、かつての鹿島槍開拓期のベースになった宿である。山荘の前を通り過ぎて、裏手に出ると、一般に「おばばの碑」と呼ばれる槙有恒氏の立派な碑があった。
林道の終点まで歩くと、堰堤の手前にわずかな踏み跡があり、東尾根へ続くルートであることを確認した。
昼近くになると青空も見え始め、せっかくなので展望台でアルプスを眺めながらの花見となった。さらに、登山教室OBの方が訪れてきた。鹿島槍へ入るということなので、行動予定などの情報交換を行った。明日に備えて、共同装備を分配して早めの就寝とした。天気予報によると、周辺地域の天気は下り坂である。また、低気圧の進む速度が異常に遅いのが気にかかる。

5月4日 天気:曇りのち雨・吹雪
夜降り続いた雨はなんとか上がった。朝3時起床、パッキングを済ませて、4時には出発した。約30分で現地に到着する。山荘の前で装備を整えつつ、明るくなるのを待つ。まだ薄暗かったが、はやる気持ちを抑えきれず、鹿島山荘のポストに計画書を届けて出発する。
堰堤脇の取り付きからは、いきなり木登りのような急登からはじまる。バランスを取りながらしっかり踏ん張っていないと滑り落ちてしまう。距離は短いが、この急登は、北岳の池山尾根よりもきつかった。しかし、ペースを一定に保てば、しっかりと睡眠をとっていたので、ほぼ予定のコースタイムで登ることができた。しかし、気温が高く、衣服の調整が難しい。
最初の支尾根の急登を登り切って東尾根に出ると、1978mのピークまでは若干緩やかな登りが続く。この尾根は、雪山入門のコースとして人気があるらしく、要所に赤布が巻いてある。しかし、積雪期限定ルートなので、登山道といえるものはなく、かすかな踏み跡はササに覆われている。歩きやすい残雪をつなぎ、時折藪を漕ぎながら登る。バリエーションルートにこの程度の藪は想定内だが、平本さんにとっては藪の洗礼となっていた。ジャンクションピークに達すると、やっとすっきりとした雪稜が現れ、雪山らしくなってきた。上部をガスに覆われているものの、爺ヶ岳や鹿島槍の山容が見え、アルプスにやってきたということを実感することができた。先行者のトレースもあることから、行動の見通しが立ち、精神的に少し余裕が出てきた。
P3を超えたあたりで、先行パーティーが見えた。この先、若干やせ尾根となる。張り出した雪庇はところどころ崩壊しており、クレバスなどに気を付けながら歩く。
P2あたりで、先行パーティーがとどまっている。リーダーらしい方に聞いたところ、雪の状態が悪いらしく、メンバーに初心者が含まれることからロープを出したということだ。P2を超えるあたりから、予報通り雨が降ってきた。
先の様子がわからないため、我々も念のためハーネスを装着して待機する。ラスト通過後に確認したが、特に問題なさそうなので、我々はロープなしで通過する。このルートでは、軽量化を考えるなら、簡易ハーネス+8㎜×30mの補助ロープで十分である。
先行パーティーは少々疲れている様子、代わりにトレースを付けるべく先に行かせてもらうことにした。樹林帯と雪の斜面との際をステップを切りながら登る。斜度のある雪面を登ると森林限界になり、頂上へつながるゆるやかな雪稜となる。
風が出てきて、雲が次々と発生してこちらに迫ってきており、空模様も怪しくなってきた。休憩の間、ネットで、気圧配置を調べたところ、低気圧が発達しながら通過していたため、まもなく冬型になると推測した。午前中の一時的な晴れ間は、低気圧の通過直後の疑似好天の可能性が高い。天候が悪化した場合、冷池山荘に予定通り到着できるか微妙であった。荒れ模様になるのは明白なので、吹きさらしの稜線に留まるのは危険だと判断、荷物をデポして爺ヶ岳本峰までを空身で往復することにした。
ゆるやかな雪の斜面を登った後、ハイマツ混じりの急なガレ場を登ると中央峰の標識が見えた。ザックをデポした箇所から標高差にして約150mであった。視界はなく既に吹雪になり始めているため、写真を撮り終えると早速下山に取り掛かる。
下山中、先ほどのパーティーに出会った。女性メンバーは疲れている様子。今日は冷池山荘まで行く予定だそうだが、結構遅い時間だったため気がかりであった。この先の稜線は、翌日、単独行者が小屋へ辿りつけず遭難された場所である。
ハイマツ帯の脇になだらかな場所があるので、テントを張るスペースを切り出す。整地を終えてテントを張ろうとした頃より、非常に強い風が吹き始める。4人でテントを抑えていないと飛ばされそうだ。しかも北からの寒気をともなった風である。カッパの下は薄着なので、急激に体温が奪われていく。危険を感じて急いでテントに潜り込む。
安全地帯とは言えないが、とりあえず、風はしのげる場所なので一安心である。早速お茶を沸かして一息つく。とにかく、東尾根を詰めるという最低限の目的は果たせた。さすがに、一日で標高差1,600mの登りは応えた。
雪がテントをたたく音と強い風がテントを揺らし、浅い眠りとなった。

5月5日 天気:曇りのち晴れ
テントが埋まるほどではないが、入り口を雪でふさがれていた。雪は止んでいるものの、ガスって視界が悪い(有効視界50m)。テントのラインには数センチの氷の結晶がびっしりと付着しており、昨夜の吹雪の凄まじさを表していた。ハイマツも樹氷で覆われている。周辺の新雪の量は10㎝程度だった。
しばらく天候の回復は見込めないことから、爺ヶ岳への再登頂はあきらめて下山することにした。それよりも、トレースが消えかかっており、下山ルートのことが気にかかる。ルートを確認しながらの下山は、相当時間を費やすはずだ。
途中、学生パーティーと倉敷からの中高年パーティーに出会う。幸い、彼らがトレースを付けてくれたことにより、不安は解消された。倉敷のパーティーは、下にテントを張ったそうだが、我々同様、強風に悩まされたそうである。彼らのテントサイトに積まれたブロックの壁は、まさに職人的な出来栄えであった。作業スペースを確保するために、ブロックの切り出し場を別に設けているようだ。今後の参考にしたい。
昨日問題となったナイフリッジもトレースがあるため難なく超える。そのころから徐々に日が差し始めてきた。稜線のガスも晴れてきて、時折爺ヶ岳の頂上も見えてくる。難所も越えたことから、景色をゆっくり眺める余裕も出てきた。各々、名残を惜しんで後立山の山並みを写真に収めたりした。気温が上がるに従い、足元の雪が緩んできている。斜度のある下りでは、平本さんは腰が引けているし、川﨑さんは滑落しかけたので注意を促した。アイゼンワークを確実にしないと、積雪期の穂高や剱は厳しいと思う。一方、心配だった安藤さんの膝の調子は問題ないようだ。
樹林帯に入ると、滑り台と化した笹の藪である。赤布を見失い、下る尾根を間違えてしまった。再び藪漕ぎを堪能する。
ところで、今回、ライチョウの姿は見られなかったが、代わりに猿の群れに遭遇する。こちらの気配を意識してか、ひどく興奮しているようだ。
昼前、大型のヘリコプターが上空を過ぎ去って行った。あとで遭難者の捜索活動だったことがわかる。休憩中の会話の中に、低体温症の話題が出たばかりである。危険は不意に襲ってくることを肝に銘じておかないといけない。
下山後、何よりも、次々に報じられる山岳遭難のニュースに驚くばかりだった。遭難が起きうる危険性については、行動中はなかなか自覚ができないもので、改めて山の恐ろしさを感じた。

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