大山 1月17日~18日


三谷 和臣

名越、横山、吉村、溝手、神庭、中島、松島(会員外)
 土曜日、先発メンバーは5名に収まり、車1台で横川駅を出発する。先日の大雪で県境付近には50cm程度の積雪、大山道周辺はこの冬一番の積雪を記録している。気温は高いが、天気は良さそうだ。
 仁王茶屋で神庭君と合流する。今年初めての大神山神社にお参りして、元谷までのトレースを辿る。元谷小屋には22:00頃入る。小屋に入れなかったことを考慮して、テントを担いで上がるが、先客は2名のみだった。翌日は、3人×2パーティの編成で別山に登ることにして就寝する。名越さんたちは就寝直後に入られたようだ。
 翌朝、神庭君は、名越さんの墓場尾根に移動したので、5名で別山に向けてトレースをつける。かなりの雪の量だが、適度に締まっていて、苦痛のラッセルではなかった。弥山尾根の左の斜面には、大きな雪崩の破断面が見えており、デブリは堰堤付近まで達していた。別山には、小屋にいた2人が中央稜へ向けてザイルを伸ばしていた。横山-吉村パーティは、中央稜へ、溝手-中島-三谷は、別山の右か左が候補として挙がったが、様子を見に左の幻のカンテへ。
 中央稜は、先行者のトレースを利用して、ザイルをぐんぐん伸ばされている。一方、我々の方は時間が止まっているようである。最初は膝上、傾斜が増すに従って腰上~胸くらいまでのラッセルになる。途中、嫌な草付きも現れペースが一向に上がらない。やっとの思いで、取り付きに着くが、出だしからただならぬ様相を呈している。打ち合わせ通り、中島さんのリードで登っていく(10:00)。脆い岩一面に覆われたエビのしっぽを払い落とし、ついでに浮き石も落とす。高さ1mのところで次の一歩を踏み出せなかったが、「変わりましょうか」の不用意な一言(クリック)で、スタンバイ状態が解除された。でも、実際はかわらんでよかった。以降も地道な作業と、浮き石で中間支点を取れない恐怖のピッチだったようだ。墓場尾根にはトレースと人影が見える。中央稜は3P目を終えようとしている。どれくらい時間が経過しただろうか?「ビレイ解除」のコールに少し安心した。登り始めるとすぐに、中島さんの気持ちがよく分かった。最初にあきらめてもらった方が良かった。溝手さんも納得の様子である。2P目は、誰も行こうとは言わず、下降することに即決する。後から聞くと、2P目は従来のルートが無くなっているそうである。取り付きと1P目の終了点には、名越さんの打ったペツルのボルトがあり助かった。下りるのはあっという間だった。
 別山バットレス基部より、空荷で右尾根の取り付きを確認して小屋に戻った。墓場尾根パーティは、時間的に厳しかったのか沢を下降しているのが見える。中央稜パーティはそろそろ夏道に出る頃だろう。
 15:00すぎ、珍しくみんなが顔を合わせることになった。お互いの山行(苦労)話で盛り上がり、名越さんたちを残して小屋を後にする。みんな名残惜しげにしばらく北壁を見つめている。大山の北壁は年々(簡単には)登れるところが少なくなっている。この時代に活動しているのは、自分にとって幸運なのか不運なのか複雑な気持ちである。

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