冬合宿① 蝶ヶ岳~大天井岳~燕山荘


三谷

12月28日(土)~1月1日(水) (リーダー) 三谷
参加者:神庭、保見

<行動記録>
12月28日
寒波による影響で昨夜から雪が降り続き、広島は雪化粧していた。神庭くんは、大量の降雪で時間がかかり、深夜広島に到着したそうだ。合宿隊と単独で入る名越さんは2台に分乗して大町駅を出発した。
予想していた渋滞はさほどでもなかったが、東海北陸道に入ると吹雪が激しさを増した。桂川PAで、共同装備の分配を行った後、定着隊と分かれる。ちょうど強い寒波が訪れており、雪が降りしきっていた。予報通りの天候の推移に、先行きの不安を感じた。
高山から凍結した道路を慎重に運転し、平湯に到着。安房トンネルを出て、明日入山予定の中ノ湯を通過、沢渡の駐車場に到着した。人の気配はなく、ひっそりとした駐車場にテントを張る。
合宿の3人と名越さんを交えて、小宴を行った。名越さんは、明日から合宿隊と分かれて、単独で横尾尾根から槍ヶ岳を目指される。
運転疲れと、明朝早いため10時には就寝とした。テントの外では、時折激しく地吹雪が舞っていた。
12月29日(晴) 、-8℃(上高地)
5時半、予約しておいたタクシーに乗り込む。
中ノ湯で下車し、山岳救助隊の方に計画書を提出する。例年より積雪量が多いため、気をつけるようにといわれていた。横尾尾根に入る名越さんは、先行パーティーの状況を聞いていた。いくつかのパーティーが同尾根に届けを出しているようだった。
長さ約1kmの新しい釜トンネルは路面の凍結の心配もなく通過。大正池を過ぎて、約1時間半で上高地のバスターミナルに到着する。夏の喧噪とは異なり、人工物も雪景色に溶け込んでいる。駐車場も雪原と化していた。 バスの乗車券販売所の軒下には、いくつかのテントが張ってある。
合宿組3人は、小休止するが、名越さんは何も言葉を交わさず通り過ぎて、河童橋の方へ歩かれて行った。名越さんとはここで別れることになる。
年末の悪天候を敬遠してか、登山者は少なかった。小梨平に入ると、スノートレッキングを楽しむいくつかのパーティーに出会った。これから我々は極寒の世界へ。
寒気の峠は越えたようで、昨日よりはいくらか穏やかな天気であった。しかし、積雪の状況が気になるところだ。つぼ足では膝上まで埋まる状態なので、ワカンを装着する。川沿いでは、強風によってトレースがかき消されている。
梓川の右岸に明神岳が迫ってくる。夏の距離感覚ではとっくに明神に到着しても良い時間だが、ひょっとして過ぎてしまったか。そんなことで、平均コースタイムよりわずかに遅れて明神に到着。明神ではスノートレッキングのパーティーと蝶ヶ岳に向かう単独行者と出会う。
徳沢園からは、トレースにしたがって長塀尾根の樹林帯に入る。登り出しからしばらくは急登が続く。汗をかかないようにゆっくりとしたペースで進むが、それでも、いくつかのパーティーを追い抜いていった。また、下山する登山者もいた。「天気が悪いので、予定を繰り上げて登って来たのかな?」と、そのときは思っていた。
長塀山に近づくと、幾分傾斜が緩やかになってくる。しかし、比較的新しいトレースは、長塀山につづく尾根を外れて迷走している
我々は地図を出して方角を確認する。どうやらそのトレースは、別の尾根に迷いこんでしまったようだ。経路を補正して長塀山を目指す。ここからは厳しいラッセルが続く。
16時前となったため、長塀山を過ぎた平坦地で本日の行動を終了とする。

12月30日(晴・強風)、-12℃(蝶ヶ岳)
翌朝、10センチ程度の積雪があった。インスタントのうどんで朝食を簡単に済ませ、2時間弱で出発した。日が昇るには少し早く、ヘッドランプを付けて学生がつけたトレースをたどる。30分くらい歩くと、学生パーティーのものと思われるテントが張ってあった。
この先、トレースはなさそうだ。ラッセルする覚悟を決める。ラッセルにあえでいると、学生パーティーが追いついてきた。ザックの大きさを見ると、頂上往復のようだ。我々は一息入れて、ラッセルを彼らに譲る。
妖精ノ池周辺は広い雪原となっており、ルートがわかりづらい。赤テープを頼りにしながら進む。最後の稜線へと緩やかな登りとなるが、ラッセルの辛さは変わらない。
森林限界を超えると、蝶ヶ岳の山頂が見えてきた。学生パーティーとともに蝶ヶ岳に到達した。稜線に出ると強風が吹きすさび、長塀尾根とは様相が変わる。蝶ヶ岳登頂の喜びは特になく、互いにパーティーの写真を取り合って先を急ぐ。小屋の陰で風をしのぎながらアイゼンを装着する。しばらくは雪が飛ばされた夏道の上を歩く。
これから向かうは、三角錐をした存在感のある常念岳。10年前に、長い登りに苦労した覚えがある。それよりも稜線上に見える樹林帯の処理がやっかいそうだ。常念乗越の通過目標時間を13時に定めた。そうしなければ、その日のうちの大天荘に到達することは難しいだろう。
こちらの稜線はおおむね晴れているが、槍穂稜線を見ると、明神岳や前穂高岳以外は厚い雲に覆われていた。天気は早くも下り坂のようだ。
蝶槍の手前に、横尾へ下る尾根の分岐点を確認した。上高地側への唯一のエスケープルートだ。
蝶槍を過ぎると、腰まで埋まる落とし穴にはまり、なかなか前進することができない。交代でラッセルするものの、前日の長時間行動と、ラッセルにより疲れが回復しない。
蝶ヶ岳への登りでアイゼンを装着する。西から吹く横殴りの風を手で覆いながら一歩一歩前進する。常念岳到着15時。これ以上の前進はあきらめて、常念乗越にたどり着くことだけを目標にした。
常念岳の山頂から下り始める頃より、今まで経験したことのないような猛烈な風が吹くようになった。ラッセルをがんばりすぎた係の膝は、すでに悲鳴を上げている。膝が痛むので、歩きにくい岩稜をゆっくりと下る。何よりも、構えていないと体が持って行かれるほどの強風である。瞬間的には風速20m位はあっただろう。さほど気温が低くならなかったのが幸いである。
何とか、日没直前に常念小屋に到着することができた。しかし、どこも吹きさらしでキャンプ適地が見つからない。樹林帯の中も空洞が随所にあり、適当とは言えない。神庭くんが、立派な母屋の脇にある冬季小屋の入り口を発見した。誰もテントを張ろうとは言わず、雪に埋もれた入り口の掘り返す。やっと開いた入り口の土間の奥には、10畳くらいの板の間があった。我々だけなのでテントを張らせてもらった。
夕食は粉末スープを使ったリゾットである。せめてもの楽しみだったが、シンプルな夕食はあっという間に終わってしまった。というよりも、疲れた体を早く休めたかった。
この悪天候のサイクルと積雪の多さを考えると、東鎌尾根に入るのは難しいだろう。再び寒気がやってくる元旦までに槍穂稜線を越えるのは困難である。この時点で、大天井岳からのエスケープを決めた。しかし、3000m近い稜線の厳しさに変わりはない。

12月31日(吹雪)、-10℃(常念乗越)
行くも戻るも稜線のど真ん中。今日が合宿一番の踏ん張りどころである。
外は吹雪で視界が悪い。最初は夏道に沿って歩くが、斜面の吹きだまりに入るとすぐに途切れる。ヘッドランプであたりを照らすがルートが判然としないので、方角を定めて樹林帯の中を進む。
明るくなると、進むべき稜線を確認することができた。横通岳の手前で風が強まり、斜面の雪質が変わったので、アイゼンに履き替える。横通岳のトラバースに入ったあたりから、さらに風雪が強まってきた。雪崩そうな斜面を慎重に横切る。完全にホワイトアウトになり、空と稜線との境界がわからなくなる。雪庇を踏み抜くのではないかと、恐怖におびえながらじわじわと進む。
神庭くんが、風向きが変わったことに気がつく。保見さんのコンパスは逆方向を示している。どうやら、トラバースしている内に支尾根に迷い込んだようだ。幸いわずかに視界が晴れて、正しいルートが確認できたので、慌てて登り返す。このときが今回の合宿の正念場だったように思う。
東大天井岳を過ぎたあたりで、東鎌尾根の陰になり幾分風が弱まったので、難なく大天荘に到着した。長時間吹雪にさらされ体が冷え切っているため、冬季小屋に入り、行動食をとって熱源を補給する。
大天井岳からの下りはじめが急な岩稜となっており、強風でバランスを崩さないよう慎重に下る。切り通し岩付近の通過が若干悪かった。ピッケルを持つ手の感覚がなくなったため、必死に手を叩く。今まであまり凍傷の危機感はなかったが、このときばかりは、冷える体のことが心配だった。
若干安定した稜線になると、わずかなスペースにテントサイトと思われる切り出しがあり、ザック、ワカンなどが無造作に置いてあった。こういう現場に慣れている神庭くんは、遭難者がいる可能性があるという。稜線に続いている新しいトレースを目で追う。
しばらく進むと、稜線上にそのパーティーが見えた。非常にゆっくりとしたペースで歩いているようで、すぐに追いつくことができた。
すでに救助を要請したらしいので、救助隊と合流するまで同行することにした。一人が滑落時に目を痛めたということだ。リーダーと思われる方がタイトロープで遭難者を確保し、一人がトップで足場の確認をしていた。所々やせ尾根になっており、急斜面のトラバースや急な下りがあるため、その都度確保されながら通過していった。神庭くんがロープを出して確保を手伝おうとしたが、すでに遭難パーティー側では、確保システムはできているようなので、我々はルートを確認したり、クラストした雪面をカッティングして足場を築いたりした。
正面のピークに一人の地元遭対共らしき人と黄色いヤッケの山岳警備隊が次々と降りてきた
燕山荘までの道のりが非常に長く感じられ、足取りが重かった。何とか日暮れ間際に燕山荘に到着することができた。
今日も冬季小屋を借りることにした。部屋の区分けは廊下を挟んで両側、上下2段の構造になっており、大変広かった。水洗トイレもついており、快適だった。
外では時折激しい風の音が響く。

1月1日(吹雪)
朝食は、元旦なので、お吸い物に餅と若干の具材を入れた雑煮である。
安全地帯までもう一踏ん張りである。下り口を間違えないために、明るくなってからの行動開始とした。外はやはり吹雪だった。湿った雪がかなり降っている。
視界が悪く、トレースは消えかかっているものの、赤旗が等間隔で設置されていたので迷うことはなかった。
わずか1時間ほどで雪深い合戦小屋に到着する。登るのか下るのかわからないが、いくつかのパーティーが出発の準備を進めていた。安全地帯に近づいたことで、幾分緊張が和らぎ、下山後のことを考えるようになった。
燕山荘からは、軽装登山者が次々と下山してくる。この登山者は初日の出を見ることはできなかっただろう。一方、この悪天候にもかかわらず、ぞくぞくと登山客が、登ってくる。正月にオープンしている燕山荘をベースに、3000m級の冬山を堪能することができる。この手軽さが、冬山へのハードルを下げているのは間違いない。最近の登山ブームを反映して、新しいウェアをまとった若い登山者が多かった。
中房温泉でやっと携帯電話が使えるようになり、たまったメールが送信されてくる。定着隊は悪天候のため、登頂を諦めて下山したとのこと。無事が確認できたので、まずは一安心。気がかりなのは、名越さんと連絡が取れないということだ。保見さんからはショートメールを送ったが、返信はない。また、通話を試みるが圏外となっている。
ここからは、長い林道歩きが待っている。景色の変わらない単調な林道を黙々と歩く。谷間の先には街が見えてきたものの、歩く速さではなかなか近づかない。しかし、ありがたいことに、先に下山した定着隊の松林くんが迎えにきてくれるということだ。
けたたましいサイレンとともにパトカーが登ってくる。彼は無事下山したのだなと思いつつ、本山行の終了地点となるゲートを迎える。
まもなく、松林くんの出迎えを受けた。厳しい寒気と長時間にわたるラッセルにより、体のエネルギーをすべて使い果たした感じだ。特に風雪の厳しさは、保見さんの黒くなった頬に表れていた。ほどほどに充実した合宿だったが、東鎌尾根を越えるには、相当な体力と好天に恵まれることが条件だと思った。
車中で定着隊の状況を聞きながら、厚い雲に覆われた山並みを眺める。沢渡でお互い元気な姿で再会した。
縦走隊は、沢渡の温泉で冷えきった体を暖め、定着隊といったん分かれる。沢渡唯一営業している食堂で遅い昼ご飯を食べて、明日に備えて新島々で給油、買い出しをした。
合宿出発前と同じように、沢渡の駐車場にテントを張り、名越さんの帰りを待った。今回の稜線の厳しさを知っているため、下山されていないことが気がかりであった。

<コースタイム>
12月29日(晴)
沢渡4:20起床→5:20タクシー乗車→5:50中の湯出発→7:30上高地(-8℃)→9:00明神→10:20徳沢→15:45長壁山付近(テント泊)
12月30日(晴・強風)
4:00起床→5:45出発→8:00蝶ヶ岳(-12℃)→15:10常念岳→16:30常念乗越(冬季小屋泊)
12月31日(吹雪)
4:00起床→6:00出発(-10℃)→8:05東天井岳手前のコル→10:30大天荘→12:15他パーティー装備残置地→12:50他パーティーと合流→14:40救助隊と合流→15:10 P2678の手前→16:40燕山荘(冬季小屋泊)
1月1日(吹雪)
4:30起床→6:20出発→7:15合戦小屋→9:25中房温泉→12:35宮城のゲート(定着隊松林出迎え)→14時頃 沢渡(定着隊合流)

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