吉岡の車に竹本、磯部と友人♀の5人で早朝立山駅へ。
5月2日
8時の直行バスで室堂着。快晴のパノラマだ。しかしこの天気も局地予報では明日午前中までとの事で目的の剣岳はどうなるか分からないので、テント組みと別れて一人で立山縦走に向かう(9:32)。
一の越(10:40~11:00)、雄山(12:40~13:00)、大汝山下に青い屋根の立派な小屋がある。真砂岳から落ち込んだ乗越のむこうの別山は未だ遠い、その延長線に剣岳の上半身が現れる。これから先の人はまばらである。
富士の折立の下りでガレ場と這松を避けて雪面に乗り移った途端に左足を太もも迄踏み抜いてしまった。びくともしない、てっきりアイゼンが岩に食い込んだものと思って掘り続けるが雪を蹴落とせる斜面でなく、手で掬うようではハカがいかない。降りてきたのは追い抜いたパーテーだったので「助けてくれ」とも言えず、30分後やっと抜けたが、何も無い!。雪の変化、とは恐ろしい物である。先のパーテーにまた追いついて「…そうでしたか、言ってくれれば良かったのに」。吉岡さんと約束の(14:00)に交信した前の事である。
2874mの別山(15:30)には積み石で囲まれ祠があり、右北西に広い尾根が続くが御前小屋は左。ここからの剣岳は前剣と八っ峰のノコギリ刃が青空を切り裂いて目前に迫り圧倒する。剣沢を下り、テント場を通過して剣山荘2470mに着いたのが(17:00)であった。
管理人を探しながら食堂を覗くといっぱいの人にびっくり、例年は10~20人位で予約はいらないと電話で聞いていたのにと言うと2パーテイ5人の相部屋に入れてくれた。私が最後の客で宿帳No.が83であった。ビールを飲んだらおかずがなくなり、まさか20人分を83人で割ったんではあるまい、それでも子供の頃よくやった醤油かけ飯が大変旨かった。7時、部屋に帰ると早くも鼾が聞こえて電灯もつけ難く、懐中電灯でゴソゴソする音にも気を使う。布団の中でイヤホーンから聞かれる天気予報は中部各地とも曇りと晴れでそう悪くはなさそうだ。よーし、登るぞ!、と高ぶる気持ちを押さえて眠りに付いた。
5月3日
5時、外は静かな深いガス生暖かい微風、吉岡さんと交信取れず。早くも剣沢のテントからか、ガスの中に消えて行った。5時半からの朝食中、親爺から皆に「往復6時間、前剣の下降に注意、何かあったら携帯又は県警の無線がスタンバイしている…」と訓示あり。
不要な荷物を置いて6時すぎ出発準備完了、次々出て行く中コールし続けるがやはり交信出来ない。待ちきれず小屋の親爺に、2人来るだろうから先行した旨伝えて呉れ、と(6:45)剣岳に向かってシンガリ出発。
小屋からトレースを追って一直線に(7:15)一服剣。先日、45年前2人で行った森安に逢って、ここの岩に座った私の写真を額縁入りで贈って呉れたがその5月は誰も会わず雪が多かった。次第にガスが切れだし、眼前にはだかる前剣の大雪面が見え出す。武蔵コル(7:23)。休んでいた10人位が引き返しだした。
大雪面の下降には大いにイモをひいたものだが、この度は大勢のトレースに助けられて難無く前剣到着(8:50)。岩にはめ込まれた案内板の横の枯れ木に止まった雷鳥が逃げないのでパチリ。そこから2つの頭の岩場や雪面を上下トラバースして、平蔵コルへの下降途中ザックを降ろす。真正面の蟹の立這いの光る鎖をつぎつぎ登って行くのを高見の見物である。
コル(9:20)、左上に避難(便所?)小屋がある。裏手を覗くと鎖場の上に梯子がセットされた蟹の横這いが見え、夏は下降用。
丁度、最終パーテイが登って行ったので、アイゼン、手袋も脱いでピッケルをしっかりザックに固定、セルブストにシュルンゲをぶら提げて垂直の登攀開始(9:40)。と言っても鉄杭、ホールドスタンスは確りしたもので、カラビナを架け替え架け替えすれば絶対落ちる心配は無い。ただ、鎖はピカピカのステンレスであるから牛蒡抜きはしないこと。約40mから右10m水平トラバースで鎖は終了(9:49)。
ここでまたアイゼンを付ける、所々岩溝に残る雪は凍っているからうっかり素足を乗せるとスリップする。ごつごつした凹部の岩場を少し登ると上から、ガイド?にザイルで繋がれた半数が女性の4х4=16人の団体さんがガチャガチャ音をたてながら次々降りてくるのにはびっくりした。
雪面に出るとすっかり晴れて、早月尾根に小さく見える3人、我が会の横山Gは5人だから違う。午後から悪くなるとの天気予報にもう通過したのか。ゆっくり登り祠のある頂上に(10:08)到着。
八ッ峰、早月尾根グループなど20人位が去来。「おじさん、シャッターを押してください」と言うスノウボードの6人は長次郎を滑降するとか、私も鹿島槍をバックに撮ってくれた。天晴れなボーダーもいるものだ。鯨の干肉を齧りカロリーメイト1箱半600kCalを水で流し込む。あまり旨いものではない。剣沢連中は殆ど降りていったみたいだ。ぼつぼつ雲が湧いてきて(10:40)下山開始。
ところがである。2パーテー7人がビレーザイルで一人づつ降りている。30分以上掛かりそうなので、そんな所ではない筈なのにと左のガレ場から簡単に回り込んでザイルを踏みそうになる、使ってくださいと言うのでカラビナを通しサーと降りて流石ですねと褒められたのはよいが、あとがいけない、ザイルから離れて2、3歩踏み出した途端にふらついて横転1回、バツ悪く逃げるように降りて行った。
ところがである。右側に雪面とトレースが現れて、おや?となる。視界も悪くなったので引き返す事を前提に、しばらくは左のガレ場と岩場をトラバースしていると、左に平蔵のコルらしきシルエットが浮かび上る。そうだとするとここは東大谷!。動揺を抑えて、落ち着け!未だ時間は早いと、ザックを降ろす。
チョコレートを食って水を飲んで気を静め撤退開始、しかし同じ所を忠実に辿るのは難しいものである。23m登り掛けては止め、しばらくは来た時と同じ事をしながら雪のトレースに戻り着いてほっとする。先ほどの2番手パーテーに出会い、「剣沢でしたか、気を付けてと」言われてしまった。
早月分岐点に戻ったのが(12:15)、ここにはこんな立派な道標があったのにどうして?、早月Gに釣られて尾根に降り込んでしまったのだ。
パラパラと雨が降り出したが風弱く視界も有る、2人が降りて行った。今度は蟹の横這いを降りてみようとしたが梯子が見当たらずまた迷いそうになったので早々に戻り、立這いをコルに降りたのが(12:46)。それを見届けるように先の二人が腰を揚げた。、一人だから心配して呉れていたのだろうか。
前剣の下降は大きななステップを踏み破りそうなので、後ろ向きでピッケルの柄を根元まで差し込んでは一歩ずつ確実に。上から3人パーテーが別のトレースを前向きにさっさとおりてきた。その内一人が尻制動の様な格好で終点まで滑っていった。大胆なことをするものだと思って、早かったですねと言うと、いやースリップでした、との事。もう少し硬い雪だったら終点を乗り越えて武蔵谷からあの世行きだったかもしれない。兎に角嫌なところである。
剣山荘が見え出し、何か言っている黄色の人は吉岡さんだった。早月尾根で1・5時間のロス、無線機が不通で大変な心配をかけてしまった、有難う、有難う(15:00)。
今まで良くもってくれた天候も明日は確実に雨だろう。荷物を取って来てくれた小屋の兄さんにも礼を言って直ちに雷鳥平へ。先導の吉岡を待たせ待たせのピッチだが、雷鳥沢ヒュッテで温泉とビールが待っていると思えば疲れをしらない。御前小屋の少し下からスキーを履いた吉岡さんは直ぐみえなくなった。富山湾のあたり雲の切れ間から薄日が射していた。余韻を醒ましながらながらゆっくりゆっくり、(18:00)雷鳥沢ヒュッテ到着。
広い温泉で一人深い満足感に浸り、吉岡の後輩、奈須さんの祝福をうけてジョッキで乾杯、部屋に帰って御前小屋まで往復した焼酎で又乾杯。彼は並でない気遣いの人で、胃が無いのに良く呑む豪傑である。また逢いたいものだが、中国に行くので、数年来れないそうである。
今年4月に70才、その節目として予てから祈念していた剣岳である。色いろな経験が蘇りまだまだと言いたいが、この度の幸運は祠の神さんの贈り物、これで終わりにすべきである。