No,4010 夏合宿 穂高・槍ヶ岳縦走  (係)武田


武田

月日 2011年8月12日(夜)~16日
参加者;三谷、赤井、川﨑、平本、徳永、片山
<行動記録>
 今年は、クラ技会員を含め、新人4人の参加を得、夏合宿を組むことができたのは、うれしい限りである。サポートとして三谷さん、赤井さんの協力を得、無事に山行を終えることが出来た。しかし、リーダーである私にとって反省すべき点が数多くあった合宿でもあった。うっかりによる転倒で、腰を強打し、歩けなくなるという失態で皆さんに迷惑をかけてしまった。リーダーを交代しながらも、無事に下山できたのは、赤井さんの適切な判断と皆さんの協力の賜物である。当初、新人3人と私で穂高・槍ヶ岳縦走をし、北鎌隊と槍ヶ岳で合流しようと考えていた。新人3人と武田で行くなんて思い上がりも甚だしいかったのだ。絶対大丈夫という言葉はないのだ。赤井さん川﨑さんが縦走隊に加わってくれた。足の手術のため北鎌隊の吉村さんが不参加となり、三谷さんも穂高・槍縦走隊のサポートに入ってくださった。三谷さんと赤井さんが強力なリーダー性を発揮してくださり、今回のアクシデントも無事に乗り越えることができたのではないでしょうか。私が情けないリーダーであることには、違いなく、反面教師として、新人の皆さんが、轍を踏まないように自分の行動を見直す機会になってくれれば本望である。

 12日、22時半に、5人を乗せたデリカは広島東インターから山陽道に入った。お盆の渋滞を考え、夜走ることにしたのは正解で、松本市内では時間がかかったが、13日、9時には上高地に着くことができた。
「節電」を合い言葉に、山に来る人が増えているとは、ニュースで聞いていたが、小梨平キャンプ場は昨年の倍くらいテントが張ってあり、人、人、人の波である。家族、特に子ども連れが多かった。
 屏風登攀を終えた後、赤井さん、川﨑さんは、西穂高からジャンダルムを越え、白出のコルに12日に着き、13日は、涸沢岳を通って、テン場で待っていてくれるというメールが届いていた。タクシーの運転手さんから天気が午後悪くなると教えてもらい、予定より20分遅れで、上高地を出発した。去年の登攀隊の山行や30年前はもっときれいだった梓川のことなどをしゃべりながら順調にとばし、12時に横尾に到着。登攀組の雄姿を想像して屏風岩を眺めた。本谷橋からは日差しも強くなり、暑くて熱中症になりそうだ。
 涸沢でも、テントはびっしり。ヒュッテの展望テラスはごった返す人であふれんばかりである。白いテントで、模様のあるハンカチを目印にうろうろ。「ドーテ」の赤井さんの声。私たちのために、テン場を確保し、整地までしてくれていた。
 着いたら、テント設営。お茶を沸かして水分補給。就寝時間から考えて、夕食の用意に取りかかるという流れを新人さんに覚えてもらいたい。翌朝2時起き、6時就寝とし、準備にとりかかってもらう。やはり雨が降り出したので、テントの中で食事づくりをするが、無駄な時間もあり、手順を考えるなど、時間を短縮する練習は必要だろう。
<コースタイム>上高地9:20―明神10:05―徳沢10:50―横尾11:40~12:00―本谷橋12:50―雪渓下13:45―涸沢14:40
 14日、2時起床。3時40分、出発。起きたときは、今日の天気を保証してくれるような満天の星空だった。ペルセウス流星群が見えるはずだったが、見逃してしまった。南稜の途中で日の出を迎えた。ちょうど飛行機雲が太陽の出る所にあり、それが渦を巻くようにくるくるっと伸び、下から太陽に照らされて不思議な形となっていた。北穂の山頂からは、富士山も見えていた。これから行く槍ヶ岳が見え、新人4人とも感激していた。滝谷もすごい迫力で迫ってくる。ドームがかっこいい。ここからの下りは、難所続きなので、平本さんにはハーネスをつけてもらい、前後を三谷さん、川﨑さんでフォローする。片山さんは武田、徳永さんは赤井さんというペアで、武田トップで歩き出す。鎖、はしごがある飛騨泣きでは、対向者が多かったが、お互いに譲り合って通過できた。しかし、鉄のくさび型のはしごを持って、体をぐるりと回して次のはしごに移ったり、岩角にきちんとのったりするなど、荷物を背負っての岩場歩きなど練習をもっとすべきだったと思う。
 長谷川ピークも越え、最低コルを過ぎた所で、前から来た男性に道を譲ろうと右上の岩の上によけて待っていたところ、どうぞと促され一歩足を出した瞬間左足がすべった。そのままドシンと岩の上に落ちた。一瞬何が起こったかわからず、でも、その男性のびっくりした顔は今でも目に浮かぶ。しばらくは動けなかったが、指は動くし、立つこともできた。尻餅ですんだ!と一安心。ゆっくりだが、歩けるので、一歩ずつ、足を進める。しかし、最低コルからは登りが続く。だんだん足に踏ん張りがきかなくなり、足に力を入れると、痛みがはしる。片山さんに尾てい骨に湿布とテーピングをしてもらい、三谷さんのストックを借りてやっとの事で南岳小屋に到着した。
 リーダーは私だが、ここからは登れそうにないが、どうにか下りることができそうなので、ここで分かれて、私一人で槍平に下り、沢渡で待っていようと決め、三谷さんと赤井さんに話す。下りるのだったらみんなでと言う三谷さん、いや一人で下れると私。赤井さんが、「ゆっくりでも歩けるんだったら私が武田さんのサポートにつくから、三谷さんが新人さんのリーダーとして槍ヶ岳をめざし、殺生ヒュッテでテントを張って待っていてほしい」と再提案をしてくれた。リーダーとして大失格だが、せめて槍ヶ岳は新人さんに登らせてあげたいという私の気持ちをくんでくれたのだろう。
 三谷さん達を見送って、ゆっくり歩き出す。何回も通ったことのある稜線。南岳から中岳、大喰岳なんてあまり急坂などと思ったことはなく、ゆっくりだったら大丈夫と思っていたが甘かった。足が出ないのだ。ストックに体重をかけ突っ張って歩くので、手のひらにあっという間にマメができた。中岳の水場はなく、行動水もぎりぎりだったので、ガスがかかってきた時には助かったと思った。中岳の登りでは、私のザックまでも赤井さんに持ってもらった。でも、空身でも足が出ない。大喰岳の頂上に着き、ほっとしたのも束の間。下っている途中、一瞬ガスが晴れ、飛騨乗越から登り返す行く手が見え、その遠さに迷いが出たとき、「あれ、三谷さん達じゃない!」と、赤井さん。そうなんです。殺生ヒュッテに向かっているはずの三谷さん達が100m先にいるのだ。13時45分に着いて、槍ヶ岳に登ろうとしたところ、2時間待ちと言われ、あきらめて殺生ヒュッテに行くつもりが、飛騨乗越に戻ってきてしまったとのこと。
 今日中に下れるだけ下ろうと、私をおろすことを考えて、赤井さんと徳永さんが先行した。ガイド結びで三谷さんにフォローされながら、ゆっくり下る。個人装備まで持ってもらい、空身で下るのだが、よく滑る。転んだのは1回だが、足に力が入らないのだ。コースタイムより時間が倍近くかかる。このまま一緒に下ると体力を消耗するので、槍平まで先に行って、休んでいてもらおうと三谷さんが川﨑パーティに伝える。しばらくして、今日中に新穂高までは無理と判断した赤井さんが槍平から迎えに来てくれた。水が美味しくて、一気に飲み干した。歩いても歩いても着かない。雨も降り出した。バファリンの効き目がなくなり、痛みがだんだん我慢出来なくなり、槍平に着いた途端、テントの中に倒れ込んでしまった。本当に皆さんに迷惑をかけた1日だった。
<コースタイム>3:40出発―北穂高6:20~30―B沢6:45―南岳10:30~45―中岳12:15―大喰岳13:00―槍ヶ岳山荘13:45―飛騨乗越14:30―千丈分岐16:30―槍平19:00
 15日。沢渡に停めてある車を新穂高に回送するために、4時半に赤井さんと徳永さんは出発した。残りは、7時半に出発。一晩寝たら、動けなくなるのではと心配したが、湿布とバファリンでどうにか歩けた。白出沢出合からは車道となり、少しペースを上げることができた。
 2時間先に先行した赤井さん達はバスを乗り継いで、沢渡まで行き、新穂高に着いたのが、10時40分。新穂高バスターミナルの少し上に今年の4月中崎旅館がリニューアルされていた。昔の落ち着いた感じはないが、檜のいい香りのお風呂だった。
<コースタイム>4:30赤井隊出発、7:30三谷隊出発―滝谷出合8:30―白出沢出合9:40―穂高平小屋10:40―新穂高11:30

 今回ほど、安全な登山について考えさせられた山行はありませんでした。リーダーはどうあるべきかなど、今回の反省をふまえて、しっかりと考えていきたいと思います。参加者の皆さん、本当にありがとうございました。

 

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