大山(三ノ沢~振子沢) 4/24~25


三谷 和臣

<参加者>横山、福永、神庭、岡本(前夜のみ)
<行動記録>
 前夜は、久しぶりの岡本さんの飛び入り参加で、楽しい宴会となった。差し入れの七輪炭火の焼き鳥で、火の出る96%のウォッカを嗜む。「最近飲めんようになった」。しかし、脇にはビールの缶がすでに何個か転がっていた。
 翌朝、7:00バス停を出発する。岡本さんは、子守をしに帰られた。ありがとうございました。考えると、残されたメンバーは、2月の時の例会と同じメンバーである。あの時は、ラッセルに苦しみ、槍ヶ峰をみる前にエスケープとなった、今回はリベンジである。
 文殊堂より三ノ沢へ入る。林道脇には、ブナの新緑、沢筋の残雪、山桜の三色の情景。大山の今の時季にしか見ることができない。
 折り重なるように続く堰堤には、治山と称して「いのちの水、くらしの大地、守りとおして保安林100年」のプレートが。砂防堰堤が森林を守っているとでも言いたいのだろうか。堰堤の奥には岩壁のような荒々しい尾根がガスの隙間から見え隠れする。
 最終堰堤の右岸を高巻きするが、最後の数メートルが雪壁になっている。ピッケルを出して、慎重に行く。堰堤を越えると南壁の全容は見えないが、沢筋には残雪とすさまじい落石の後が。時折、ガラガラと崩壊する音だけが聞こえてくる。冷たい北風が吹きすさび、春とは思えぬ寒さである。尾根の泥壁には、訓練に使用したのかFIXロープが垂れ下がっている。
 神庭君は、最近食した蕗の薹が相当気に入ったのか、手頃なのを熱心に採取している。
 上部の視界がないので、落石を避けるように左岸に向けてガレ場を登る。対岸を見ると、墓場と呼ぶにふさわしい泥でできた鋸状の尾根である。中国地方随一のアルプス的な景観を誇る。「あれが全部岩だったらみんな登りに来るだろうに」と、横山さん。もしそうだったら、東の谷川岳、西の大山と言われていただろう。さらに、草付きのルンゼより急な尾根に取り付き、登り詰めると、槍尾根に合流した。神庭君一人は、忠実に沢のガレ場を詰める。程なくして槍ヶ峰のトラバースに入る。槍ヶ峰を越えると、正面には烏ヶ山、眼下には加勢蛇川に吸収される谷を見下ろすことができた。谷筋には、まだ多くの残雪を伴っている。
 天狗ヶ峰で合流し、足場の非常に不安定な縦走路をそろりと下っていく。途中、東壁側の斜面に緑のプレートを見つける。割と最近亡くなられた方の遭難碑だった。振子沢の頭より、急な雪渓を下っていく。グリセードの感覚を忘れてしまい、恐怖のあまり制動を効かせすぎて、なかなか前に進まない。福永さんは、グリセードからシリセードにシフトチェンジ。雪渓の下りの基本はかかとに重心を、と言いたいところだが、面倒くさく、だらしなくズリズリ滑り降りる。下流では、団体が雪上歩行訓練中だった。横山さんの労山時代の岳友だった。どこに保水しているのか、尾根の途中からわき水や滝が流れ落ちる。それにしても、今日は自然の不思議をたくさん見ることができた。
 加勢蛇川振子沢との合流点からは、特徴のある形状によって先程登った槍ヶ峰が一目でわかる。ちょうど昼になったので、柔らかい日光に当たり、川のせせらぎ、小鳥のさえずりを聞きながら、ゆっくりと休む。
 労山パーティを追いかけるようにして、鳥越峠を目指す。三ノ沢では寒かったり、峠への登りでは暑かったりと体温調整に忙しかった。鳥越峠直下の雪壁は、キックステップで確実に登る。残雪のブナ林を縫うようにして進み、鍵掛峠の分岐点で一本立てる。最後、文殊越から文殊堂へと抜けた。
 三ノ沢の出合いからは、見事な南壁の全景を見ることができた。ボッカ訓練だと言うことをすっかり忘れて楽しんでしまったが、いろいろな意味で貴重な例会だった。

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