Bojohaghur Duan Asir


広島山岳会

 

Bojohaghur Duan Asir 広島山岳会ヒマラヤ登山隊1984登山隊

総隊長         三好 忠行
隊 長         大前 恒雄
副隊長         山本 登一
登攀リーダー      名越 實
保森 博美
隊 員         金本 秀三
木佐 英一
田中 俊夫
吉岡 好英
岡本 良治
児島 修
村上 俊之
リエゾン・オフィサー  Athar Haroon
メール・ランナー    Abdul Maten
学術踏査隊
隊 長         福田 豊治
副隊長         三原 宏
隊 員         広畠 英史

予定通り6月1日に先発(木佐、岡本、児島、村上)、6月8日に本隊と踏査隊の11名日本を出発。首都イスラマバードと隣接するパキスタン第3の都市ラワルピンディのMrs,デイヴィスプライベートホテルに投宿。20年ぶりの猛暑は日中何と49度。エアコンのない部屋で、のたうちまわる。7月号「われらがリエゾンオフィサー」で書いたようにいかにもパキスタンらしく事が運び、予定より早く6月13日夜バスとワゴン車に荷を満載してキャラバン出発。バスの助手がどっかに言って帰ってこなかったのもパキスタンらしい。

<6月14日>明るくなると車は大インダス河に沿って世にも恐ろしいカラコルムハイウエイ(何がハイウエイじゃ!)をひた走りに走っている。道の両側には太古より手つかずの過酷な自然が続き、陽は容赦なく照りつける。お昼頃インダスと別れギルギット河を遡る。後にナンガパルパット、前にラカポシを望む雄大な眺めは贅沢そのもの。ギルギットでバスを替えフンザには夕方に着く。途中から見るラカポシの北面は圧巻だった。20時間と15分、顔に水をかけながら頑張った運ちゃんご苦労さん。天気が良くフンザの背後にアシールとウルタールが夕日にかがやいていて我々を歓迎してくれる。アリアバード村にできたテント村に落ち着き、ポーターなどのアレンジをする。

<6月15日>BCおよびルートの偵察のため保森、名越の二名が先行する。

<6月16日~18日>96名のポーターを雇い本隊フンザ発。女の娘でも早朝にでれば夕方には着く距離を往き4日、帰り2日の契約・・・・・・。ハサナバード谷に入り、ムチュチュール氷河とハサナバード氷河の出会いで1泊。次の日はハサナバード氷河に入り左岸のモレーン上。18日、保森、名越の迎えを受けてBC予定地下のカルカで泊。夜遅くまでルートのことで話し合う。結局ある程度の危険はあっても全員が登れそうなフンザピークより派生する最も左の尾根に決定する。

<6月19日>待望のBC入り。氷河から2時間ほど上がった河岸段丘上の放牧地で、北に名峰シスパーレ、西にサンゲマルマールといった山々がぐるりを取り囲む素晴らしい別天地。その夜は標高4000mの酒に酔う。

<6月20日>早朝右俣にブロック雪崩が発生。爆風は右岩稜を超えてBCをゆるがす。吉岡、名越、村上の渉外記録という今や用なしとなった3名で偵察に出発。残りは梱包を解き仕分け等に当たる。偵察組はまず左岩稜末端の、後に「喜望峰」と呼ばれたピークに末端から取付いてみる。しかしこのルートは左俣からの爆風をもろに受ける場所がありやや問題あり。

<6月21日>山本、吉岡、児島のBパーティーがルート開拓。昨日の稜をもう少し回り込んだ大ルンゼを登って楽々と喜望峰の頂上に立つ。穂高の稜線のような所が続いている。そこかしこにカモシカのふんと高山植物があり快適な岩稜である。

<6月22日>保森、木佐、岡本のCパーティー(後に「潮騒」パーティーとなる)がルート開拓。BCからもCパーティーの動きが良く判る。4500mまで。

<6月23日>名越、田中、金本、村上のAパーティー(後アンパンパーティー)がルート開拓。キャンプ間を長くしたので前日の終了点には13時着。下から見て予定していた緑の地を第1キャンプ(C1)とする。(4600m)

<6月24日>3パーティーで荷揚げ。C1を設営する。Bパーティー(後、ルンルンパーティー)は上部にルートを伸ばす。岡本熱を出す。

<6月25日~27日>ゴジラの背のような岩塔群を抜け、大スラブ帯に入る。

<6月28日>午後から初めての雨となる。5300mあたりでルートを伸ばしていた潮騒パーティーは霙にたたかれてぐっしょり。悪天の周期に入る。

<6月29日>朝から雨。全員休日とする。

<6月30日~7月3日>荷上げに追われてルートが伸びずにいたが何とか大スラブ上の雪面を登ってC2予定地に着く(5500m)。イギリス隊が入山したとの知らせを受ける。

<7月4日>アンパン、B隊とでC2を建設。それにしても900mの標高差は岩稜ということもあって実に遠い(登り
6時間)。浅い雪壁をカッティングして何とか1張のテントを設営。潮騒パーティーがBCより最後の荷上げをして、BCには三好、大前それに5頭の牛だけとなる。

<7月5日・6日>C2より急な雪壁を登りスカイラインのミックス壁(後、氷の滑り台と呼ぶ)を突破して雪と氷のリッジを攀じ、長い雪稜に出る。

<7月7日>たなばたなのに朝から雨で全員休日。

<7月8日~11日>9日から好天の周期に入る。マシュマロの里と名づけたハンギングレイシャー帯を神に祈りながらルート工作。10日、なんとBCが右俣からのブロック雪崩に襲われ(右岩稜を越えて来た)壊滅状態となる。11日、何とかマシュマロを切り抜けてアシール南西稜上に出る。フンザやラカポシ、ヒスパー谷も見える。バツーラがますます高くなり、サンゲマルマール(この日に大阪大学隊が初登頂)の後にはハチンダールチッシュも顔をのぞかせてきた。

<7月12日>C3を作るべくアンパン、潮騒で荷上げに向う。C3直下の雪田で雪崩を起こし4名が流されるが事なきを得る。

<7月13日>全員休み。

<7月14日>南西稜直下5mマシュマロ上にC3を建設(6200m)。C2からやはり7時間かかるが下りはアップ・ザイレンの連続で2時間。

<7月15日・16日>南西稜上を500m伸ばすと、50mほど垂直に切れおちた岩壁になっている。16日からまた悪天の周期に変わった。

<7月17日>2年前東京の朝霧山岳会が登った最低コル(6150m)へ抜ける南面ルートで、イギリス隊4名がラッシュをかけて来たのに出合う。第二登に甘んじようとも我々は我々の方法で登ることを確認しあう。イギリス隊はコルで2名が下り、残った2名が上へ向った。

<7月18日~23日>嵐が襲来。6000mで雨が降り、雷と吹雪の競演にルートが伸びない。19日、漸進キャンプをコルにもうけて仮C4とする。吉岡不調のためBCへ下る。この頃から不調の者が続出し、パーティーは調整のため混成となる。22日ようやく最後の課題(と思われた)である南西稜の大ハンギンググレイシャーを突破する。

<7月24日>天候が小康状態となったのでC4を建てるべく5名が各キャンプから出発。例のハンギンググレイシャーを越えたところでイギリスパーティーが下りてくるのに出合う。てっきり登ったものと思っていたが、途中まだ悪い所があり頂上までが遠すぎて引き返して来たとのこと。それにしてもこの嵐の中雪洞を掘りながらよく頑張ったものだ。C4を設営。C4上部のピークから先はなるほどスッパリ切れてルートが無い。初めてアシール頂上を遠くに見る。(6900m)

<7月25日>イギリス隊の探らなかった下部にルートを見つけ、ついに頂上へ続く雪稜にでる。これで何とか見通しがついた。

<7月26日>アタックの準備をするも、終日吹雪。全員沈殿。

<7月27日>天候が回復したようだが、雪が安定してないので一日待つことにする。もはや各キャンプの食糧が底をついてきたので食いのばしに入り、動かない日は食べないことにして湯をすする。調子の悪い金本がC3に後退。山本、児島が仮C4に下って第2次に回る。

<7月28日>アタック日和。午前1寺起床。4時20分出発。気温-20度。名越、木佐、岡本の3名は一本のダンラインザイルにつながってゆく。ナイフリッジの前衛峰の稜線は長く(約7250m)、まるで鳥の羽根をトラバースしているようだ。背後のラカポシ山群が夢のように美しい。アシール、ウルタールにガスがかかり始めた正午頃本峰とのコルに着く。頂上まではゆるい雪面だがくさった雪はひざ上10Cmまでもぐる。C4から12時間近い奮闘でやっとB・D・アシール(7329m)にたどり着く。3人手を取って同時に頂上を踏む。15時55分、ややガスっており遠くにK2らしきものがちらりと見える。早々に下りにかかり頂上下の7200mあたりで雪洞を掘り、ビバークに入る。

<7月29日>雪洞を9時過ぎに出、途中フィックス工作などをしてC4着15時。16時2次アタック隊の山本、保森、田中、児島、村上がC4入り。金本は28日にC1,29日にBCまで下降。

<7月30日>昨日C4入りした5名全員がアタックに向かう。14時50分、登頂。山本以下5名の元気な声がアシールにこだまする。同じ雪洞でビバーク。1次隊は仮C4を撤収してC3へ。

<7月31日~8月2日>次々とキャンプを撤収して山のようにふくれ上がった荷を負って下山。8月2日全隊員無事故でBCに集結。最後の日本酒で打ち上げ。美酒に酔う。

<8月3日>荷の再梱包とゴミの整理。保森下山。

<8月4日>ポーターが上がって来て、想い出深いBCを後にする。数名はハサナバード氷河最奥の放牧場シスパルまで寄って下山。氷河舌端にてキャンプ。

<8月5日>フンザのカリマバード村のヒルトップホテルに落ち着く。

<8月6日>ジープをやとってパスーの先のバツーラ橋までゆき裏側からアシールを見る。

<8月7日>ヒスパー谷のナガール村までジープを走らせる。ここからはアシールの頂上が見える。

<8月8日>ワゴン車の話がついて、いよいよフンザに別れを告げる。児島、岡本を残して8名が出発。

<8月9日>23時間のドライブでラワルピンディに到着。

<8月中旬>登山隊解散2名を残して帰国

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