2016年11月13日(日)
係:松林
参加者:横山、吉村、元廣、平本、川本
<行動記録>
三倉岳の中ノ岳は、“年に1度、行きたいルート”と考えている。広島において唯一自力で登れる長めのマルチピッチのルートであり、変化に富んだコースだからだ。6月の計画は雨で中止となったが、今回、シーズン最後の岩登りでそれを実現させることができた。
マロンウォール前の駐車場に着くと、山岳連盟のクライミングスクール等でお世話になった方々が見え、話を聞くと、やはりスクールと中ノ岳でバッティングだった。スクールは我々よりも集合時間が30分後らしいので、「早く登って邪魔しないように」と歩き始める。
Bコース8合目で荷を降ろし、登攀道具を準備する。先輩方が先に準備を終わらせ、若手に早くするよう指導が入る。パーティは先行を川本-松林の2人、後発を元廣-吉村-平本-横山の4人とした。後続を4人としたのは、前月に石鎚山北壁を4人のシステムで登った際に、「他のメンバーにもこの登り方を体験してほしい」と思ったからである。「途中に坊主岩からの下りがあるので変則的になる。」という点や、ギアの配分など、“いつもと違う登り方”に頭をフル回転させてほしい。
先行パーティは川本リードでテラスからスタート。初めてだと“最初の渡り”がやはり怖いようだが問題無く渡り、次の短いチムニーも抜ける。その先で迷っていたのか、しばらくしてこちら側に顔を出し、良く見える位置にいた横山さんが「(もう一つ)チムニーを進め」と指示を送る。そこを抜けるとスムーズにロープが延びていき、ロープの動きがゆっくりになった後に「解除」の声が聞こえたが、なかなか「どうぞ」の声が聞こえない。こちらはスクールのスタッフが真下に見えてプレッシャーが掛かる。
係の番になり、大急ぎでピッチ終了点へ向けて登る。終了点近くまで行くと、案の定、彼の姿が傾斜の緩いチムニー(ルンゼ?)の先に見え、彼にチムニーを強制的に下らせることにして右の側壁の終了点へ向かう。側壁のクラックは、登らないともったいない。係が「最後のチムニーには入らずに、リングボルトのある側壁」と指示していたが、リングボルトは撤去されてハンガーボルトだけになっていた。これは仕方がない。
2ピッチ目は係がリードで進み、いつもは“枯れ木根ルンゼ”の下でピッチを切るが、「行けるところまで行こう」と枯れ木の幹までロープを延ばした。坊主岩のピークまで近くなったところで川本くんと交代して先を託す。ここから2回連続の人工となるが、コミュニケーション不足による勘違いのため、1回分でピッチを切らせてしまった。坊主岩までの数メートルは係がロープを延ばし、ある程度ロープを束ねてから次のピッチまでを進む。
後発パーティとの距離がある程度取れていたので、4ピッチ目は“小松ルート”ではなく、初めてチムニーを登ることにした。写真では見たことがあったが、支点がほとんど取れず、距離も長かった。型が決まるまでが大変で、体力を消耗してしまった。「後ろと声が聞こえなくなるのもマズい」と思い、ピッチを短く切って川本くんを上げる。
そして“半身ズリ上がりクラック”からのスタート。昨年、「カムはこのサイズじゃないと決まらない」という解を出していたのだが、それが全く決まらない。スリングに足を掛けて良い体勢を作り、少しずつ登って直角部を乗越そうとするが、腹の前にぶら下がっているカムが岩に引っ掛かって苦労した。
その先のチムニーは左右に傾斜しているので、セオリー通りに背中を下側にして入るが、型が決まらず進めない。体勢を変えようと少し頭を下げるとヘルメットがすっぽり挟まり、頭を持ち上げると「メリメリ」と嫌な音が出た。一度チムニーを出て再度同じ向きで入るが、やはり型が決まらず出る。「ならば逆向きで入ってダメなら右巻きだな」と覚悟して入ると、意外に早く型が決まり、先へ進めた。川本くんを上げると、チムニー内で確保器がカラビナから外れて落ちたようで凹んでいる。さらに「荷物ありでのチムニーは嫌だ。もうフォローはしたくない」と言っている。
最終ピッチは、最初のリングボルトから“上の段”に初めて登ってみたが、体勢がかなりリスキーなために悪い印象を覚えた。最後のフェースは支点が無い代わりにチッピングされているが、一昔前まではチッピングも無かったそうだ。それはもっとリスキーだったに違いない。ピークに着き、後続を待ってギアを片付け、8合目へ下る。
所用のあった係と横山さん、吉村さんは先に下山し、残りのメンバーにはショートルートで川本くんの相手をしてもらった。
<コースタイム>
8:00駐車場→9:22先行パーティ中ノ岳登攀開始→12:33先頭パーティ登攀終了→13:20後発パーティ登攀終了
(記:松林)