月日;3月13日(日)
参加者;久保(信)、髙田
<山行記録>
連日の東日本大震災の悲惨な報道は気持ちを滅入らせ、山登りを楽しむ気になれなかった。しかし、10日の集会では久保会長の参加を伺い、中止にするわけにもいかない。だが、この曽場ヶ城山は八十八石仏のある信仰の山でもあり、この日に登り、石仏に震災で亡くなられた方のご冥福を祈れるのも何かの巡り合わせかも知れないと思えた。
天気は下り坂との予報だったが、青空の下、暖かい日差しを浴びて、八本松駅を出発する。南に下り、小・中学校を過ぎ、バイパスをくぐった所に小倉林道がある。「西条側からは曽場ヶ場城、反対側からは大山」との登山口の看板がある。平成10年の「ひろしま百山」では、左側に駐車スペースがあると書かれているが、今は見あたらない。しかし、車数台は道の端にとめられるほど広い林道である。道標通りに山道に入っていくと尾根ルートと合流する。適度なアップダウンで歩きやすく、高度を稼いでいく。山腹には麓から見えたブルーシートをかけた岩壁がある。戦没者供養塔の修復の途中らしく、足場も組んであった。八十八石仏保存会の方達がお世話をされているのだろうか。とても歩きやすい山道で、とても気持ちがよい。
石積みや掘削したように見える平地が壇をなしているところが二の丸跡で、石仏もおられる。下から32番十一面観世音菩薩、31番文殊菩薩、30番阿弥陀菩薩、29番千手観音菩薩、28番大日如来の立派な石仏が鎮座していた。その横のノートに「東日本震災で亡くなられた方のご冥福を祈る」との記載もあり、何か申し訳のない気持ちで登っていた私たちに、山に登る意味を持たせてくれたようで石仏を何度も何度もおがんだ。弓矢用の竹のトンネルを抜けると、本丸があり、西条盆地が一望できた。ここから一度西側へ少し下って尾根沿いの道を行くと山頂に着く。
頂上では立派なベンチもあり、久保会長お亭主による野点(のだて)が始まった。曽場ヶ城茶会は大内氏がここを山城として使っていた頃もそうであったかも知れない往時を想わせる。久保さんのザックは、お菓子とおいしいお抹茶、お茶道具も入って、大きくふくらんでいたのだ。春の陽ざしを浴びて、美味しいお抹茶をいただけるなんて本当に幸せを感じた。
下山は、北西の尾根を下って、旧山陽道の大山峠に出て、西国街道の標識を辿って、八本松駅まで戻った。
<コースタイム>八本松駅8:50―登山口9:08―戦没者供養塔9:22―P529 9:40~9:50―本丸10:10~15―山頂(一ッ城跡)10:25~11:25―テレビ塔11:40―大山峠11:50―八本松駅12:25