三嶺~剣山 (係)吉村


吉村

10月25日~27日
<参加者>三谷、徳永、平本、桑田、田村
<行動記録>
 25日に台風27号が四国太平洋沖を通過した。そのため四国は大雨が降った。26日~27日は晴天になるとの天気予報を信じて、予定通り25日夜9時に大町駅を車2台で出発した。瀬戸中央道で四国に渡り、小雨が降っている池田PAでテント泊。少しミーティングをして寝た。
 26日5時起床、テントを畳んですぐ出発。天気は曇り。祖谷渓谷を通過するとき「イノシシじゃないけど黒い獣がいる」と、運転していた徳永さんが言う。なんとニホンカモシカだ。小ぶりだが確かにそうだ。平本さんが写真に撮っていた。ニホンカモシカが四国剣山に生息していることは、帰って調べてみて確認できた。知らなかった。
 剣山の見ノ越駐車場に1台車を置き、もう1台で西山林道登山口に9時半ころに到着した。三谷君が「登山靴を見ノ越駐車場の車の中に忘れた!」と、28年前の蒜山~大山の新人合宿の犬挟峠で、私が言った言葉を発してうろたえている。仕方なく、アプローチシューズのままで、縦走する羽目に。
 登山口から登り一辺倒で、笹原の稜線の天狗塚との分岐に着くと、台風の余波が残っており、ガスと強風が吹き荒れている。体が持って行かれるくらい強く寒い。カッパを着こむ。景色は何も見えないので、天狗塚は割愛して、お亀岩を目指す。稜線から数十メートル降りたところにあるお亀岩避難小屋に避難する。この小屋には西洋風の本格的まきストーブも備えられ、2階も有り20人は泊まれる立派な造りだ。いつか泊まりに利用してみたい。しっかり休憩をとり風対策にカッパを上下着込んで、小屋を出る。
 ここから三嶺までは稜線上の笹原や、左側の樹林の巻き道の繰り返しである。三嶺が近づくとコメツツジの群落が出てきた。期待したコメツツジの紅葉は、茶色にくすんでいる。すでに紅葉は終わったのか?
 14時過ぎに三嶺の頂上に着いたが、相変わらずガスと強風で何も見えない。笹原のたおやかな峰々を想像するしかない。そそくさと白髪小屋方面に下っていく。樹林の下りで風裏になり、歩き易い。一本取るたびに、田村さんはへたり込んでいる。疲れたか?
 白髪避難小屋にはほぼ予定通り、15時過ぎに到着した。小屋内を覗くと、10名ほどの中高年グループの先客がおり、宴の体制に入りつつあるので、小屋の外の草地にテントを張ることにする。この小屋にはトイレが無いので、そこら辺が地雷原のように感じる。よーく草地を観察してテント場を決めた。水場は数分下った所にある。本日の夕食は「なんちゃって鴨鍋」。あい鴨肉は高価なので少しにして、鶏肉が沢山である。偽装表示したらおこられるので、なんちゃってである。
 新人二人はテント生活が身についていない。テント張りに手間取る。ガス缶を出せ、食料を出せ、と指示が出ても中々出てこない。個人の食器が洗っていない。テントの撤収がまた手間取る。今度、新人対象のテント生活研修が必要だ。
 強風は夜中になっても止まないが、月が出ていて明日の晴れを期待して寝た。
 27日3時起床し、うどんを食べて出発の諸準備を済ませ、5時出発。真っ暗な中ヘッドランプを付けて、剣山を目指す。1時間歩いたところで、雲間に日の出を迎える。昨日ほどではないが、風は吹いている。ガスは相変わらず景色を遮っている。寒気が入ってきたのだろう、寒い。
 樹林の中にあるちょっと陰気な丸石避難小屋を覗くと白髪小屋と同じ造りだ。四国の山には避難小屋がしっかり整備されている。広島県にも避難小屋が必要だ。十方山、恐羅漢山、吉和冠山での遭難事件があるのに避難小屋を整備しないのはおかしい。ましてや県には一人500円の森林税を納付している。
 次郎笈へ登っていくと、樹氷が枝に白い花が咲いている様に、びっしり付いている。それを見て桑田さんが大はしゃぎ。風の強い次郎笈を通過して剣山へ向かう。剣山近くになると道は遊歩道へと整備され、登山者に観光客も混じるようになる。
 1955mの写真を撮り、下山。頂上ヒュッテ裏で、風を避けながら休憩する。少し降りただけで、風、ガスとも収まる。西島キャンプ場からの樹林は紅葉が美しい。見ノ越駐車場に辿り着く頃、何故か快晴となる。入山地の車を回収し、いやしの温泉郷で汗を流し、祖谷そばを食べて帰路に着いた。

コメントを残す