月日 平成20年8月31日 (係)大前・竹本
参加者 安藤(前夜のみ)、吉村、尾添、小此木、小泓、三谷、吉岡、武田、多賀谷(重)
前夜9時半ごろヒュッテに入ると大勢で盛り上がっており、既に酔って横になっている人もいたが後には宴会に復活した。一人ずつ減りながらも山小屋の恒例で夜半過ぎまで語り続いた。最後は午前3時だったとか。朝4時半に目覚まし時計が鳴り響き、安藤さんが帰ってゆく。山行には参加できないが、前夜だけでもと来られたのだ。
前夜定めた8時行動開始に合わせ、自家焙煎珈琲で目を覚ます。8時過ぎに回送のため3台に分乗して出発した。大規模林道の途中にある横川小学校跡を出発地とする。小学校の建物は板切れしか残っていないが昭和42年まではまだ小学生が通っていたそうだ。門柱石の名残の「横川小学校」の文字はくっきりとして、とてもそんな年月が経っているように感じさせない。8:50かつて小学生が通学していた道へ入っていく。いきなり急登で往時の小学生の通学の険しさを慮っていたら50メートル歩いたところで間違いに気付き、引き返す。元々田代と横川を結ぶ生活道とのこと。道幅もあり、歩きやすい道だ。昨晩飲み過ぎた大前さんは遅れ気味だが、景色を楽しみながら行けるよう全体のペースものんびりペースで。吉岡さんがGPSで残りの距離などをナビゲーション。民家跡の立派な石垣、田んぼ跡の杉林が出現し、田代の集落跡に至る。38豪雪で離村したそうだが、今は建物はすっかりなくなっている。先輩方の記憶には民家が残っているそうだ。田代橋を渡り、舗装路を少し歩くと奥三段峡である。田代川を途中で分岐して小さい沢沿いに北上する。ススキをかきわけながら歩く。気温はだんだん上がっている。前方で木の枝がそよぎ、気持ちよさそうな風が吹いていそうなのにどこにも風を感じない。振り返ってみると顔に風が当たる。後ろからゆるやかに吹いていたのだ。ヨットでも風に乗ると風速と同じスピードで進んでいるので相対速度はゼロになり、船上では無風なのだそうだ。傍から見ると風を切って涼しそうでも実際は凪で蒸し風呂なのだそうである。十文字峠到着は11:15。時間に余裕があるので、40分フリータイムとし、聖山に山岳会デビュー山行以来?年ぶりに頂上を踏みに行く多賀谷さんと、未知の頂上を踏みに狼岩山へ武田、三谷、竹本の3名に分かれる。狼岩山はいきなり藪で、こまかくつけてあるコーステープと木の幹につけてある鋸痕を目印に藪を突進する。GPSでも地形を確認しながら、20分ほど進みだらんとしたはっきりしないピーク状の場所を頂上だろうと言うことで記念撮影。何の標識もない。後になって分かったのは、GPSの軌跡を出力してみると1002mのピークまで半分くらいの地点であった。頂上を踏んでいないのは残念だが、ほとんど全て背丈ほどの藪漕ぎだったので、さらに倍の藪漕ぎをしなかったのはあまり残念ではない。3人が十文字峠に戻ると程なく多賀谷さんも降りてきて、揃って聖湖に向けて出発した。背は高いが細い木々がすーっと上に伸びているので、積雪が少ないのだろうかなどと話した。樽床ダム湖畔の胸像のあるところで昼食とした。武田さんが梨を手早くむいて振舞って下さった。
昼食の後は樽床ダムから流れ出る三段峡の遊歩道を進む。最初に現れるのが三ツ滝。三段になった滝は実に見事である。尾添さんはカメラを構え、他の人は携帯を構える。次に現れるのは樋状に流れる竜門。大正12年に国の名勝に指定された碑が建っている。車道の発達した現代と比べるとその当時はどれほど山深い場所であったか考えると、景勝地として有名であったのだろうが、出かけるにはかなりの覚悟が必要だったのではないだろうか。最後に娘滝という繊細な滝を過ぎると餅ノ木林道に出る。丁度14時だった。回送した車に乗り込み、山小屋へ戻った。かつての生活道を辿り、フィナーレは見事な滝で締めくくる。車道を5キロ歩くなら回送なしでも楽しめるコースだ。紅葉の季節には文句なしに楽しめるだろう。
<コースタイム>
ヒュッテ8:13→横川小学校跡8:50→10:00田代橋→10:18小休止10:30→11:20十文字峠12:05→12:35聖湖湖畔12:15→14:00餅ノ木林道