<月 日> 8月12日夜~16日
<参加者> 吉村、赤井、神庭
<行動記録>
要約すると、天気の悪い中13日朝に入渓し水量多くて動けず、翌14日はそれほど悪天候でなかったので少し進み夕方からまた雨になり、15日はずっと雨で沢が増水著しかったので尾根に上がって入山地点に戻ったという内容である。
13日(土)雨のち曇り
前夜広島を18時に出て中国道新見で神庭隊員と合流した後、小川温泉に着いたのは午前4時前であった。少し仮眠をとった後、身支度を整えて6時に予約してあったタクシーに乗り込む。ここから入山地点の越道峠までの10キロ弱はタクシー以外は入れないのだ。起床と同時に虻が来襲しており、我々4人の他に虻約10匹もタクシーに乗り込んだ。しかし神庭隊員が一匹ずつ捕捉し、文章にできないほどの虐待を加えてから外に放すので虻の群はせん滅された。30分ほどで峠に到着し、タクシーを降りた瞬間に驟雨が隊を襲った。降りしきる雨の中入渓前の防水パッキングやトイレをすませる。ここ、越道峠には林道開通記念の石碑と公衆便所のみがある。午前7時、かねてからの調べ通り石碑の裏から入山。水平方向の踏みあとをたどるが、すぐに分からなくなる。石碑の裏からすぐ尾根に取り付いて登るのが正しかった。正しい踏みあとを見い出してからも迷ったという記録を多く読んだが、我々は小川状の場所で一度踏みあとを見失しなったのみで、あとは順調に下降点の鞍部にたどりいついた。鞍部には赤布があり、そこから名もなき沢を北又本流めがけて30分ほど下る。本流との出会い付近は懸垂との記録を読んでいたが、行ってみると大きく崩落しおりガレ場を歩いて下ることができた。どの遡行記録を見てもここで北又谷の美しい流れに感動することになっているのだが、今回隊員達の目の前には黄河の色をした濁流が渦巻いていた。対岸には河原が見えていたがとても生きて徒渉ができそうにない。がれ場の直下には濁流、河原は彼岸。入渓をあきらめるか、命懸けの徒渉をするかの選択をするしかないかと思われたその時、吉村隊員が此岸の上流に河原を発見。少し浸かるがへつって行けそうだ。早速神庭隊員を差し向けると、腹まで浸かりながらも辿り着いた。ロープを張って残りの隊員も河原へ上陸できた。持つべきものは経験あるベテランと若い突撃隊員だな。河原から先は徒渉が必要で、前進不能につき河原で幕営とする。昼からは雨も上がり、水位も徐々に低下して水の濁りも薄まっていった。これなら明日はと期待しながらその晩はたき火を囲んだ。
14日(日)曇り
夕方から雨昨日は入渓だけで終わってしまったため、本日は気合いを入れて4時過ぎに起床する。魚止めの滝、大釜、又右衛門滝の3悪場を午前中のうちに通過し、白金谷出合い付近まで行ければ昨日の遅れは取り戻せるねなどと話し合い、7時頃河原を出発する。水量は多く見えるが、昨日より50センチは水位が下がっているはずだし、何より水が澄んできて水中の石が見えるのがありがたい。河原から100mも進むと魚止めの滝に着いた。かつては8~10mの落差を誇ったが今は埋まって1mの滝だとどの記録にも書いてある。しかし我々が目にしているのはどう見ても3~5mはある。3悪場のなかで最も容易なはずだが釜も巨大でとても楽をさせてもらえそうにない。神庭隊員がルートを開く。15m泳いで斜めのバンドに這い上がり5m直上、立ち木から5mトラバースして落ち口だ。スリング使っても手強く、トラバースの最後が嫌らしかった。やっとのことで落ち口に全員集合するが、激流がまたしても行く手をふさぐ。激流の幅は優に5mはあり、中州に飛べるはずもない。となると激流に沿ってのへつりだがこれがまたかなり微妙である。行けないことはないかもしれないが、落ちれば落下者は激流の中でルアーと化してしまう。結局神庭隊員がピトンを連打してあぶみをかけて突破した。後続の吉村隊員と中島は途中で落下、ロープを引かれながら神庭残置の補助ロープを使ってなんとか水から脱出した。赤井隊員だけは補助ロープをうまく使い、バランス良く越えて行った。その後もロープ無しで進める箇所はわずかな距離で、結局魚止めの滝からの連瀑を越えたときには既に昼であった。
そして滝は終わったものの沢の水量と流れの速さは衰えを知らない。次に我々の前にはへつれない壁と浸かった瞬間流される勢いの水が現れる。よって北又谷初の高巻となった。神庭隊員がルンゼから支尾根方向にロープをのばすがなかなか時間がかかる。ようやく到着のホイッスルが鳴り響いてセカンド、サードが順に上がるがまたもや異常に時間がかかる。これはいったいどうしたことだと思いながらラストに中島も登る。ホールド、スタンスの少ない泥のルンゼが現れ、それを越えると細いブッシュだけが頼りのやはり泥っぽい斜面だ。しかも高巻と思えないほど傾斜がきつい。時間もかかるわけだ。
やっとの思いで全員が緩傾斜帯に這い上がったとき、隊の誰もが思ったのだ。「樹林帯ってなんて快適なんだろう。穏やかな林の中を歩いて行く、そういう山行がしたいな。」しかし我々は過酷な沢に既に来てしまったのだ。後悔先に立たず、転ばぬ先の杖は折れてたぜ。そして高巻中の我々は大釜もあわせて巻くことにした。眼下に見える大釜は尋常な大きさではなく、しかも渦巻いている。直径50mの洗濯機だ。行ってみなくて良かった。その後3回の懸垂を経て恵振谷出合いに降りたったのは16:30であった。ここで雨もかなり強く降ってきた。この先は又右衛門滝がありその高巻には最低1時間半を要する。とても突っ込めない。今日はここで泊とする。
15日(月)雨
昨日夕方からまた降り続いた雨は夜通し断続的に降り続いた。その結果朝には北又は再び黄河になっていた。またかなり増水している。この3日間でベストコンディションだった昨日ですら500mほどしか前進できなかった。このまま沢を進むと帰らぬパーティーになる可能性を高めるだけなので、此岸の尾根を上がり越道峠に戻ることにする。しかしもとより道などない。詳細は省くが、沢から登攀込みで700m尾根を登って定倉山(1408m)ここまで4時間強、そこから1388mピーク、1208mピーク、1097mピークを経て入渓時の下降点まで5時間半、さらに40分ほどかかってなんとか真っ暗になる直前に越道峠までたどりついた。最後の3時間ほどはなんとか踏み跡があったものの特に前半は凄まじきやぶであった。核心部はやぶグレードで4-5級はあったのではないだろうか。しかも一日を通して雨が降り続き本当に参った。ルートも尾根をまっすぐ行くようなものでないため、地図とコンパスを頻繁に確認しながらも迷いそうになった。朝の出発時に、「今日中に越道峠に抜ける」と宣言したものの正直なところ不安もあった。18:30過ぎの脱出であったが、抜けたときにはやはりほっとした。歩きながら携帯で呼んだタクシーもじきに到着し、小川温泉につかり生き返ったが、さすがに疲れきっていたのでそのまま帰るわけにも行かず朝日町の公園施設内で一晩を過ごした。
翌日は若狭湾経由でゆっくり帰った。神庭隊員が鯖寿司を買い求めるために寄った小浜市では、お盆のため鯖寿司こそ見つからなかったが、市中にて「あずみの」という絶品の料理屋に出会うことができた。また行きたいな。寄り道をしたおかげで7時前に出発し、20時到着となったが楽しい帰路だった。
そろそろまとめに入るとしよう。各隊員はよくその力を発揮してくれた。赤井、吉村両隊員は連日の雨にも関わらず確実にたき火をおこしてくれた。あの環境でたき火がどれだけ有り難かったことか。食当赤井隊員による沢の水をふんだんに使った麺料理は、疲労した体にのど越し良くおいしく頂けた。また山でざるそば食べたい。神庭隊員はどの山行でもそうだが、縦横無尽の大活躍である。ルートファインディング/ルート開拓からツェルトやタープの設営まで何をさせても良い仕事をする。彼は山岳会の宝だね。で、係りである中島隊員は特に何もしなかった。働く隊員を尻目に毎日幕場の周りで竿を振ってみたりしたが、結局一匹の岩魚もあげることができなかった。役に立たないことこの上ない。
合宿を通しての教訓と言えば、「増水した沢に入ってはいけない」それに尽きる。合宿のかなり前から北陸地方には梅雨前線の切れ端のような前線が停滞し、大雨が全国ニュースで流れ、広島を出発する当日には富山県に大雨警報が出ていた。それでも入渓したのには係りの思いがあった。北又谷は日本三名谷に数えられる秀渓で、かねてから強い憧れを抱いていた。また、係りは希代の雨男であり参加する合宿では毎回悪天候のため予定が消化できない。あまりにも毎回であるためこれまでの合宿も悪天候で予定がこなせないのか、悪天候を理由にして意志の弱さで予定がこなせないのか、わからなくなっていた。だからこそ、自分が係りを務める今回の合宿では多少の悪天候なら抜けきる覚悟でいたのだ。しかし、初めての北アルプスの沢の中でただ自然の力の強大さを思い知らされたのであった。でもね、あきらめてないかんね、これから北陸地方空前絶後の渇水というニュースを聞いた方は中島までご一報を。