冬合宿(蒜山三山-烏ヶ山縦走)


12月28日-31日 (係)吉村 (文責)田野

吉村 松林 上田 西村 田野 堀田

<行動記録> 

 今年の冬合宿は昨年悪天候により実施できなかった北アの鹿島槍ヶ岳のリベンジ山行が予定されていたが、結果的に昨年同様今回も大雪のため近場の蒜山三山-烏ヶ山縦走へと変更された。2シーズン連続の計画変更となり残念ではあるが、安全の上にも安全を期しての合宿であるべきで適切な山域変更であったと思う。

 合宿前まで逐次気象担当の松林さんから天候連絡が全員に入っていたが、28日まで数年に一度の寒波が襲来し大雪が予想され、29日一時的に冬型は緩むものの、翌30日には再び大雪になるとの予想である。その後吉村リーダーから山域を変更したいとの提案がメンバー全員に入ったのは前々日の26日の事であった。26日の時点ですでに目的地近くの積雪は60cmを越えており、山上ではそれ以上の積雪になっていることは明らかである。また29日朝から入山してもこの大雪では先行パーティは望めるべくもなく、腰上の新雪をラッセルしたところでどこまで辿りつけるか想像もできない。爺ヶ岳直下の斜面では雪崩も心配である。全員同じ意見となり、今年も計画変更&転進となった。

 変更後の計画は蒜山三山から烏ヶ山への縦走である。コースは犬挟峠-下蒜山-中蒜山-上蒜山-アゼチ-象山-新小屋峠-烏ヶ山-新小屋峠-鏡ヶ成となったが、これは吉村リーダーの新人合宿時のコースだったとの事である。上蒜山-アゼチ-象山-新小屋峠は冬期のみ歩行可能という、バリエーションルートで全行程の歩行距離は20キロを超える。雪も鹿島槍よりは少ないとは想定できるが、それなりの量はあるに違いない。

■1日目28日 午前 蒜山着

 転進により出発時間が変更となり28日は午前中に現地着。車を出発地と到着地の2台配置しなくてはならないが、その前に近くの派出所で登山計画書を提出するのを忘れてはならない。最近は電子メールで送付するパーティが増えているようで、直接手渡した吉村さんも相手のお巡りさんはピンときていない様子だったとのこと。しかし最終日には下山確認の電話が入ったので、岡山県警の登山届管理体制もしっかりしているようである。岡山県警の皆様ありがとうございました。犬挟峠の駐車場は想像通り雪に覆われていて駐車ができなかったので、目の前にある火葬場の駐車場に置かせてもらった。この火葬場は登山者に好意的で、トイレも綺麗に使うという条件付きで自由に使用させていただくことができた。協力的で本当にありがたい。

 

13:30犬挟峠出発

 出発点からのトレースはないが積雪はそれほどの量ではない。ワカンを装着してまずは下蒜山頂上を目指す。天気は上々である。誰かが蒜山ブルーだな、とつぶやいたが勝手に八ヶ岳ブルーをパクってはいけないと揶揄される。出発直後はワカンとストックがしっかり効いていた。しばらく進んで高度を上げ尾根に出ると視界が開けてきたが、ここから積雪量が一気に深くなりワカンとストックがずぶずぶと沈み、効かなくなってきた。背中には20キロ近い雪山フル装備のザックでこの状況になり、情けないことに筆者はここでかなり体力を消耗してしまった。日没までの時間はそれほど多くはない。パーティはザックをその場に置いてラッセルし、交代時に取りに戻る方法に切り替えた。それでも増す勾配に筆者のワカンとストックは効かず、泳いでいるかのごとく高度が稼げない。一度足元を崩すとそこから起き上がるだけでもひどく体力を消耗する。年々足が上がらなくなる事は仕方がないと思っているが、パーティでの登山ではメンバーに迷惑をかけてしまう。これは危険でもある。日頃の体力作りの甘さを痛感し、反省することしきりである。

 一方今回のラッセル大会山行の大殊勲者はSLの松林さんである。松林さんは今回ワカンはもちろん最終兵器であるスノーシューも一緒に持ち込んだ。筆者は過去別パーティでスノーシューを履いたメンバーと何度か雪山に入りその絶大な歩行性能は知っていたが、体力・技術・気力のある人が履くとこれほどまでに効果を発揮するのかというぐらいの目覚ましい活躍をされていた。松林さんは二日目からも常にパーティの最前面でルートを作り、斜度が増してからは他のメンバーが追いつくまでに数回ラッセル道を往復して雪を固めてくれていた。それでもスノーシューとワカンの浮力には大きな差があり、スノーシューのトレース跡にワカンで足をのせるとまだかなり沈むのでワカン組の先頭も交代しながら二段構えで前進した。

<蒜山ブルーの中、犬挟峠からラッセルで下蒜山へ>

17:00過ぎ 下蒜山 9合目泊地

 今回の縦走での最大斜度という法面を抜けて下蒜山9合目のピークに到達するともう殆ど日没に近い状態となり、ヘッドランプを装着し、ここを泊地とするためのテント設営にとりかかる。場所は9合目ピークのわずか先にある極小スペースである。蒜山といえども日が落ちると急激に気温が低下してくる。雪をかき集めテントが水平になるだけ積み上げテントを設営し、皆で飛び込む。ストーブをつけるとメンバーから安堵のため息が漏れた。今日の雪はそれほど乾いた雪ではないはずなのに、踏んでも踏んでも足元が締まらず筆者はラッセルに難儀した。松林さん上田さん堀田さんの体力バリバリ先導組の活躍がなかったら筆者はまだここに辿り着いていないかもしれない。感謝である。

 雪からの水作りが終わり、今晩の夕食は堀田さん担当のカツ丼である。タレはインスタントであるが、おいしい、温まる。夜も更け、風が強くなってテントを激しく揺さぶるが体も温まり、22時頃就寝となった。

■2日目 29日05:00起床7:00出発

 朝食をとり泊地を出発する。今日の天気は雨か雪の予想である。本日の行程は計画では中蒜山・上蒜山を越えて冬期しか歩行できないバリエーションルートに入り標高1116mのアゼチまで縦走の計画である。しかしながらこのラッセル状況だとアゼチまで一体どれだけの時間がかかるか想像すらできない。冬山はやはりその場に行ってみないと何もわからないし、その都度その都度発生する状況により臨機応変な判断と対応がリアルで求められる世界だと思う。冬山に入ると吉村リーダーがよく言われる「経験しか勝たん」という意味が実感できる。

07:45下蒜山頂上

 9合目の泊地から45分ほどで下蒜山1100mの頂上に到達する。今日の雪の状況は昨日に比べると時間が経過して少し締りがよくなっている。また下蒜山からフングリ乢(たわ)まではなだらかな下りなので、ある程度雪があってもラッセルスピードを上げる事ができた。高度が下がると雲の下に降りてくるので視界が開け明るくなってきた。一行は順調に中蒜山頂上に向かって前進する。フングリ乢からはまた登りとなる。昨日よりは雪の締りはよいとはいえやはりラッセルはきつい。今日も松林さんが先頭でルート作りをしてくれている。

13:00中蒜山頂上

 夏ならなんのことはないルートも冬のラッセル歩行時には時間がかかる。すでに計画より大幅に遅れつつもなんとか中蒜山頂上に到着した。頂上直下には先行者のトレースがあり、一同これはもしかすると上蒜山までトレースがあるかもしれないぞと色めき立った。

 中蒜山頂上には避難小屋がある。先ほどの先行者がいるようだ。吉村さんが女性の声が聞こえると言う。特別な才能をお持ちなのか、筆者には何も聞こえない。小屋に入ってみると確かに男女2名のパーティである。塩釜の登山口からスノーシューで登ってきたとのこと。そしてそこで上蒜山方面にはトレースができているものの途中で切れているという悲報をいただいた。どうやらこのトレースの主はここから上蒜山方面に向かおうとして雪の多さに諦めたようである。この二人に行かないのか訊いたが、もう登山口に引き返すとのこと、残念であるがこの先もずっと我々が先行するラッセルが続くようである。このままでは計画通りにアゼチまで到達できないかもしれない。

<中蒜山にて>

 ここからユートピア(笹原)の鞍部985mまで137m下る。そこから上蒜山頂上1199mにむけて再び高度差214mのきびしいラッセルの登りが始まる。メンバーは口にこそ出さないものの内心では、もうやめてホント、と叫んでいたはずと思うのは私だけであろうか。

15:30 上蒜山頂上直下 泊地着

 今日は出発が早いので昨日のように暗くなってからではなく、余裕をもって泊地で準備を行おうとの事で上蒜山頂上到達にこだわらずに泊地を探すこととなった。頂上直下の北面にわずかなスペースがあり、ここなら南からの風を防いで快適な泊地にできそうである。

全員でスコップを持って雪を集めて整地を行う。雪を積み上げて作った土台は気温がだんだん下がることで締まり、非常に安定したものとなった。

 今晩の食事は筆者担当のミネストローネである。ちなみに堀田さんはミネストローネはまったくイメージがわかないという理由でかつ丼の担当に決まったという経緯がある。もちろん筆者にも似合わないのであるが、単なる洋風野菜煮込みではなくオサレなイタリアンにしないと何を言われるかわからない。家で下ごしらえして野菜とベーコンとスープにパスタを持ち込むがやはり6人分の生野菜と濃縮スープは重い。吉村さんから献立指定を受けて準備したが、結局共同装備分担の時には袋の中が見えないのでここまで吉村さんが担ぐはめになってしまった。。筆者はいつもは食事は軽量化とカロリー重視で味はさほど気にしない方なのだが、今回の準備ではいろいろ考えさせられ、よい勉強になったと思う。出した結論は、山の食事は持って上がれるのならば美味しいに越したことはない、である。

 西村シェフの助言をもらいながら、事前にYoutubeで勉強した名店料理長のレシピでミネストローネを作る。ちゃんと仕上げのチェダーチーズも準備し、味もメンバーから高評価をもらえて一安心したが、野菜を一度レンジで加熱しておくと煮込む時間が短縮できるということ、そうすることでスープの量を維持でき、パスタの量が多くとも焦がさずに調理できるという事が反省点となった。奥が深い世界である。

 食後ストーブにあたりながら吉村さんとストーブ談義になった。昔の広島山岳会のストーブはホワイトガソリンのホエーブスだったとのこと。筆者が昔所属していた山岳部も当時まだ灯油のオプティマスを使用しており、メタによるプレヒートの儀式はもちろん燃料を運ぶにも大変気を使った事を思い出した。近代化が進みガスが主流になったというのはやはりその扱いやすさにあるとのこと。確かにノズルの清掃作業は大変であったし、良い燃料保管ボトルは高価だったため、貧乏な高校生達は普通のエバニューポリタンの口にビニールをかけて締め上げて灯油を運搬していた記憶がある。これが位置が悪いと微妙に漏れてキスリングの中が大惨事になるのである。広島山岳会では先日ガス以外の燃料を使用するストーブをすべて処分したとの話をきいて時代の流れを感じた。

夜も更け明日の行程について全員で作戦会議を行う。

 予定のコースはバリエーションルートのためトレースは期待できず、このラッセルで進むペースを考えるとアゼチ経由で新小屋峠へ向かうのは残りの食料を考慮すると難しい。なにしろまだ予定ルートの半分までも来ていないのである。犬挟峠まで戻るか、エスケープルートを使用するかの選択になったが、今回は上蒜山頂上を経由してエスケープルートで上蒜山登山口へ下山することに決定した。犬挟峠に配置している車へのアクセスは登山口にタクシーを呼んで対応する事としたが、堀田さんがテント内からタクシー会社へ予約の電話(携帯はほとんどの場所で使用可能)をしたが電話を受けた受付の女性はこんな夜中に小屋もない上蒜山の上から電話をしてきた我々を最初は遭難したパーティと思ったようである。説明して事なきを得たが、下山口で地元のマスコミがいたらどうする?など冗談が炸裂していた。このように今回の山行ルート上ではほぼ電話が通じるのは安心ではあるのだが、考えようによっては文明が近すぎて多少甘えてしまった面もあるかもしれない。

■30日05:00起床 07:30 泊地出発 07:45 上蒜山頂上着

<上蒜山頂上にて>

 上蒜山頂上からのラッセル下りは登りを考えると非常に快適である。時々大きな穴があるので気をつけながら下山ルートを辿る。頂上では一瞬青空も見えたがまた隠れてしまう。途中今回行けなかったまるで爺ヶ岳東峰にあるようなナイフリッジも見られた。かなり刃がなまっているナイフリッジではあるが、ここだけ写真で切り取って見せれば誰もが北アルプスに行ったという事を疑わないだろうな、という話題で盛り上った。

<刃がなまっているナイフリッジへ向かう>

10:30 上蒜山登山口

 下りとは言えラッセルは変わらず、かなりの時間を要しながらも上蒜山登山口まで降りてくることができた。コースは変更になったものの全員輪になって冬合宿の成果を確認し無事を喜び合った。この後タクシーに迎えにきてもらい犬挟峠へ2名が出発、鏡ヶ成にデポしたもう一台の車を取って戻ってくるまでに約1時間を要した。残置の4人は暖を求めて近くのひるぜんワイナリーまで20分ほど歩いたものの、年末のため休業しており店の屋根の下で寒さに震えながら到着を待つ羽目に。2台の車が見えた時にはまるで遭難時に救助隊が駆けつけてくれたような歓喜の声があがったのは言うまでもない。この後はエスケープルートを使い山行を早めに切り上げたおかげでゆっくり温泉につかる事ができた。この夜の祝賀会は安どの中、やたらにビールが美味しかった。

■4日目31日07:00

 昨晩から急激に風雪が強まり夜中ばたばたとテントを揺らし続けたが、翌日朝食後広島に向けて無事帰途についた。皆様、大変お疲れ様でした。

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