No.3521 高見川アイゼンワーク (係)多賀谷(重) 3月30日


三谷 和臣

<参加者>
大前、吉村(前夜のみ)、三谷、中島、田房

<行動記録>
 今回の例会はアイゼンワークのトレーニングと言うことで、アイゼンを履いて大野高見川を遡行した。
 詳細なコースとコースタイムは別途会報にて(記録(記憶)の前後関係が怪しいです)。

 本日のキャンプ地に着くと、既に吉村さんがたき火と七輪の火を起こされていた。そのおかげで、テントを立てるとすぐに焼き肉パーティにシフトできた。いつもの時間までたき火を囲んで語り尽くす。翌朝、吉村さんにもらった活性酸素を抑制する薬とやらで、割合すっきりとした目覚めを迎える。しかし、大前さんはたくあんを食べ(歯ぎしりを)続けている。吉村さんは今回の役目を終えて帰宅された。

 今日は高見川の本流を登ることになった。暫くは単調な河原歩きと堰堤の高巻きが続き、不安を覚えたが、小滝が現れいつの間にか滑滝のど真ん中にいた。堰堤ができるまでは、もっと綺麗な沢だっただろうが、そのうち流出した土砂に埋まってしまうのではないかと思う。自然の環境保護と災害対策のジレンマである。
 沢靴なら快適であろうが、アイゼンだとわずかな傾斜でも気が抜けない。誰もがアイゼンの爪に集中していたので、沢の形状を把握できなかった。沢はゴルジュ状となり、傾斜は徐々に増していく。水量は少なく、滝も階段状なので、アイゼントレーニングには丁度良い。しかし、滑落すると致命的なので、適度の緊張感を保つ。大前さんのリードで順調に導かれていく。さすがルート取りも的確で無駄が無く、アイゼンワークにしても大前さんにはかなわない。個人的には、アイゼンの前爪だけを使って、安定した立ち込みができるかは不安が残る。途中沢は二股に分かれ、左股(本流?)を詰める。核心部は15mの滝。直登は難しく、両岸とも切り立っている。念のためロープを出し、中島-田房-大前は右岸を、時間がかかると思い、三谷-多賀谷は左岸をそれぞれ高巻く。右岸はすっきりしたスラブ状(古いハーケンがある)、左岸はすっきりしない草付きの泥壁状(ハーケンを残してきた)、抜けた後は両岸とも急傾斜のブッシュだった。滝を抜けた後も同じような形状の沢が続く。
 安定した場所で昼食とする。このまま行って稜線に抜けるか、沢を下降するか協議した結果、前者を選択することになった。滝の懸垂下降にはかなりの時間を要するだろう。
時間に余裕のあるときは、トレーニングが本質なので試みるのも良いと思う。
 さらに前進するとまた滝が現れた。ある滝の抜け口で水流をまたぐと、一見岩なのに、「ぐにゅっ」という感触があった。石マニアである田房さんは、地質的に珍しい事もあり騒いでいた。確かに粘土質と岩が同じ地層にあるのは不思議である。時間が気になりだした頃、堰堤を境に沢は傾斜を落として作業道に出る。
 作業道を登るにつれて道が不明瞭になり、ついには獣道との区別が付かなくなる。高度も増しどんどん谷から離れていくので、不安も増してきたが、登山道らしきところに合流した。これで一安心である。あとは、沢を右手に見ながら、海に向かって下るのみである。大前さんが言うには、この登山道は沢の二股の手前に降りるらしい。それにしても高見川は結構深い谷である。途中、大前さんの足が痙攣するアクシデントがあったが、どうにか治まったようである。ここ数日で春らしくなり、今日も汗ばむほどの陽気だが、沢から冷たい風が吹き下ろし心地よい。突然、怪しい宗教の巨大建築物が眼下に現れ、その宗教の話しに盛り上がる。中島さんによるとその宗教では教祖に女子高生を生け贄として捧げるそうだ。中島さんの豊かな想像力と話術には尊敬する。こんな馬鹿話も時には心が和む。このまま下るとその建物に降りるのではないかと思われたが、高見川へ下る分岐点があり、そちらへ下りる。大前さんの言うとおり、二股の分岐点まで降りることができた。あとは沢沿いに付けられた道を行き、ほぼ予定通りの時間に着くことができた。特に中島さんの場合は、予定の時間の重みが違っていた。約束の時間を死守すべく、地図を凝視する姿はいつになく真剣だった。
 テントを撤収し、中島さんは帰路を急ぎ、残りは多賀谷さんの沸かしたおいしいコーヒーをよばれて高見川を後にした。
 係の多賀谷さんと大前さんには合宿を前に、少しでも安心材料ができて良かったと思います。ありがとうございました。(記:三谷)

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