2002年夏合宿 


吉岡 好英

☆ 北鎌尾根パーティー
月日 8月11日~17日
<メンバー>吉岡、名越、田房
8月11日
10:00 横川駅北口で田房を乗せ、名越の待つ祇園新道中筋へ向かう。合流後は広島ICから高速道を乗り継ぎ、長野自動車道:豊科ICまで。渋滞の案内は何ヶ所か出ていたが、たいした影響もなく17時過ぎにはインターネットで探しておいた、登山者のための無料駐車場があるという安南タクシー本社に着いた。さっそく駐車場に案内してもらい、荷物をタクシーへ。ここからタクシーの運ちゃんとの問答。「この荷物でどこへ行くの?」「合戦尾根を上がり貧乏沢を下って槍ヶ岳から穂高まで」「問題ありますヨ、この荷物」「何で?」「あまりにも軽すぎますヨ」「ウン、これでエエの」「これで何日?」「テント泊まりで約一週間」「ますます問題ありですヨ」と中房温泉への車の中での会話である。もうひとつ。「合戦小屋ではスイカを売っており、これは美味しいらしいですよ、行ったことはないけど」中房温泉へ到着し荷物を降ろす時、もう一度。「やっぱりこの荷物は問題ありですヨ、絶対無理をしないように」と釘を刺される。ちょっと軽くしすぎ?
「ここのテン場は私有地なので・・・。」と運ちゃんは言って帰っていった。ロープの張ってある内側にテントを張り、セブンイレブンで買った、各自二食分の夕食をとる。
8月12日
朝、さっそく管理人のオヤジさんがテント代を取りに来る。ごみは捨てるところがなく、管理人が宅配便で送ってやるというので、ゴミと田房が拾ってきた・・を一緒に送ってもらう。こんなことをしていたら登山者が大勢やってきた。
中房温泉売店横から合戦尾根への急登に取り付く。昨夜はキャンプ場で寝たおかげで、足取りは軽い。ジグザグに上っている登山道には先行パーティーがいるが、追い越していく。第二ベンチで小休止。ここにも多くの登山者が休んでいる。さらに急登を進み、合戦小屋に到着。多くの登山者はタクシーの運ちゃんが言っていたスイカをウマソーに食っている。最初は無視していたが、誘惑には勝てず、つい買ってしまった。1/8切れが800円。これを3等分に切ってもらい、食らいつく。ジューシーなスイカが渇いたのどを潤してくれる。さらにピッチを上げ、燕山荘へとブッ飛ばしていく。稜線はガスっており、遠くの山々は見ることができない。あまりアップダウンのない道を黙々と歩き、常念岳への分岐点(切通分岐点)、で一休み。誰も休もうと言わないから、つい・・・。大天井岳を回りこんで大天井ヒュッテ、さらに展望台をトラバースすると貧乏沢入り口の小さな標識がぶら下がっていた。ほんのチョッとだけ薮を進むとガレ場が現れる。自分で踏んだ石で崩さないよう慎重に降りていく。時おり樹林帯の中に道があるが、あまりいい道とはいえない。下るにつれガレ場の石が大きくなってくる。かなり浮いている状態なので用心用心!貧乏沢の由来は水が無い(貧乏)から付けられたのだろうと、勝手に決める。こんな会話をしながら下っていると天井沢に降り立つ。川原の整地された場所を今日のテン場にする。
中房温泉(6:15)–(8:46)合戦小屋(9:12)–(10:05)燕山荘(10:32)–(14:02)貧乏沢入り口–(16:28)貧乏沢出合
8月13日
昨夜は雨がぱらついたがテントを撤収するころは何も問題ない状態だった。テン場から少し上がると北鎌沢出合がある。どんどん高度をかせぎながら沢を上っていく。前回(2年前)は上部で草付きに取り付き稜線に出たが、今回は沢を忠実に上る。水は稜線から200mくらい下まであるようだ。北鎌のコルは6人テントが張れるだけスペースがある。ここで休んでいると県警のヘリが北鎌尾根を上部から捜索でもしているのか、ゆっくりとやってきた。北鎌沢出合や昨夜のキャンプ地、貧乏沢出合でホバリングをしていた。北鎌のコルからしばらくは木登り?をしながら高度をかせいでいく。独標は千丈沢側を巻き、次の鞍部へ出る。さらに千丈沢側を巻き、不確かなルートに悩みながらも先に進む。時おりガスの中から槍ヶ岳本峰と小槍が姿を現せる。北鎌平からは凹角状の場所を越えると槍の穂先の祠があるところにでる。誰もいない頂上からはガスで展望も利かず、寒い。今日のキャンプ地、肩のキャンプ地に向け早々に下りる。槍ヶ岳山荘でキャンプの申し込みに行った田房は「満杯だそうです」と帰ってきた。キャンプ地には一つだけ空き地があったので、再度交渉に行くが結果はダメ。しかたなく、大喰岳へと先に進みたかったのだが、殺生ヒュッテキャンプ地まで下りることにする。明日、上り返すことを考えると悩んだが結果的には稜線で風に吹かれるよりましだったかも知れない。なんとか暗くなる前にテントを張り終え、熱い飲み物でのどを潤す。
貧乏沢出合(7:00)–(9:54)北鎌のコル(10:00)–(15:32)北鎌平(15:50)–(16:55)槍ヶ岳–(17:22)槍ヶ岳山荘–(18:00)殺生ヒュッテ
8月14日
今日も曇り空だ。ガスもかかっている。槍ヶ岳山荘へと登っていく。新装成ったのか、まだきれいな山荘前で小休止の後、飛騨乗越へ下り大喰岳へと上る。中岳を越え広い南岳へ。南岳から大キレットへのはしごを下り、飛騨側がすっぱりと切れ落ちている大キレットの稜線を歩く。キレットの中間点付近で3時間ぶりの小休止。長谷川ピークを越え、いよいよ北穂への最後の登りに取り付く。ふり返るとガスの合い間に見える、長谷川ピークには登山者がこちらに向かっているのが見える。北穂への上りは天気が悪いせいか、時間待ちはない。北穂高岳頂上で休憩の後、滝谷へのルート偵察の名越を残して涸沢への道、南稜を下る。最後の鎖場を下ると涸沢キャンプ場のカラフルなテントが見えてくる。二張りのテン場を整地し、今日入山の児島たちを待つ。遅れること30分、五六のコルから無線が入ってきた。
殺生ヒュッテ(6:55)–(7:24)槍ヶ岳山荘(7:32)–(9:24)南岳–(10:45)キレット中間点(10:55)–(13:05)北穂高岳(13:20)–(15:00)涸沢
8月15日
昨夜から降っていた雨は朝になっても一向に止む気配はなく、各パーティーは沈殿を決め込む。昨夜は白出のコルでテントを張った横山たちも北穂への移動をあきらめ、ザイテンを下りると無線で伝えてきた。昨夜は相当吹いたらしい。
何もすることもなく、喰っちゃー寝の状態。夕方つかの間の雨上がりがあったが、夜も降っていたようだ。
8月16日
夜明けにはようやく雨が上がり、周りの山々が見えてきた。再編成した各パーティーの出発を見送り、田房とワシは下山準備をする。横尾に続く道を多くの登山者とすれ違いながら、快調に飛ばしながら歩く。屏風岩の全容がよく見える。横尾に着いたころから、稜線は再びガスの中に入ってしまった。上高地・河童橋は人でごった返しており、下界に下りた実感を味わった。それにしても暑い!
バスと電車を乗り継ぎ、車を置いた豊科へ。ゆったりと温泉につかり、21時まで休むつもりだったが、スイカを買わなくちゃーとJA安曇野産直センターへ行く。
涸沢(6:30)–(8:10)横尾–(9:00)徳沢園–(10:22)河童橋–バスターミナル(11:20)
中年元気印と伸び盛り、「休もーやー」を言わんのじゃけー。もうチョット気を使って!

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