津和野街道を歩く


保見

5月16日(土)~5月17日(日)
参加者:吉村(光)、三谷、保見

<行動記録>
銀山街道、六甲山全山縦走に続き、長距離ロード第三弾である。
津和野街道とは現在の島根県津和野町と広島県廿日市市を結ぶ津和野藩参勤交代の古道である。津和野藩参勤交代の道の他、物資の運送や、厳島神社への参拝の道としても大変重要な道であったようだ。また、幕末から明治初期のキリシタン弾圧によるキリシタン流配の道として、現在でもカトリックの人たちによる巡礼の旅が行われており、歴史的にも大変貴重な道と言われている。公称77キロにどんなドラマが待っているのだろうか。

5/16(土)
新幹線と特急を乗り継いで津和野へと向かう。特急といっても二両編成のディーゼルカーである。天気は回復傾向ではあるがどんよりと曇っている。10時に津和野に到着。あいにくの小雨である。傘を差して津和野駅前商店街を歩く。道路脇には鯉が泳いでおり風情が感じられる。造り酒屋が多い。酒好きの3人には目の毒である。
それにしても人が少ない。今思えば、この人の少なさはこれからいやというほど感じることになる。
青野山への登りが始まった。笹山の石橋、唐人屋と窯跡などを横目に先を急ぐ。峠のトンネルに着いたころには雨も上がった。柿木へは山越えのルートもあるようであるが25000の地図には載っていない。ガイドなしでは通れないほど荒れているとの話である。時間があれば藪を突破することもできるであろうが今回は時間の関係上、パスすることとする。 今回の第一チェックポイントである柿木を通過する。川沿いを歩いてきたが福川から日本一の清流と言われる高津川に変わる。変化の少ない川沿いの道をひたすら歩く。ほとんど人と会うことがない。一人の老人に挨拶すると姿勢を正され敬礼された。老人には我々が何に見えたのであろうか。
道路脇には立派な家が建っているが人の気配が感じられない。それと対照的に「なぜこんなところにこんなものが?」と思うような大きく立派な運動場や学校など公共の施設が目立つ。このアンバランスはなぜだろう。
今夜の宿泊予定地である六日市に到着する。ここも昔は宿場街であったがその面影はどこにも見られない。明日の体力回復を願い、温泉につかることにする。両足に豆ができている。明日はどうなることだろう。本日の歩行距離は36キロ。8時間半の行動であった。明日は間違いなく今日以上歩かないといけない。夜は役場裏の公園でビバーク。東屋のお陰で快適に眠ることができた。

5/17(日)
4時起床。4時半にヘッドランプを点けて出発。予定どうり足の裏とひざ裏の筋が痛い。
吉村さん、三谷さんはそんなそぶりを見せない。さすがだ。
冷たい空気が気持ちいい。今日は天気が良くなる予報であり、朝のうちに距離を稼いでおきたい。水源公園を通過し、今回初の古道に入る。思ったよりも悪い。本当にここを参勤交代の車列?(人の列)が通ったのだろうか。
山道を越え、深谷峡温泉に到着。ここからは今回の最大の難所である羅漢山への登りが待っている。標高差800mを一気に登らなければいけない。足は痛いが歩かなければ帰れない。じりじりと日が照る中、舗装路を歩く。昨日から変わらない景色である。相変わらず道端の家は人の気配がなく廃屋が多い。中には荒れ果てて崩れたものもある。
羅漢山が近づくと山道となる。ジグザグの舗装路と違って直登ルートをとるため一気に高度を稼ぐことができる。しかし、この道がまた良くなかった。カエルがゲロゲロ鳴くほどの水が流れ、石がゴロゴロして歩きにくい。この山道で激痛が走った。舗装路が主体ということでランニングシューズにしたのが失敗の元だった。足が靴の中で滑り、大きな豆がつぶれてしまったのである。石の上を歩くたびに足が滑って痛みが走る。この痛みは間違いなく広島まで続く。少し気が遠くなった。
再び舗装路に合流し、頂上である生山峠に到着する。これで今回の難所は越えた、とこの時は思ったのだが。
別荘地の下から山道となるはずであるが入口が見当たらない。仕方なく舗装路を歩いて迂回する。松ヶ峠へ向けて再び山道に入るとこれまでとは違った歩きやすい整備された山道となった。目にすることがなかった「津和野街道」の標識も出てくるようになった。
「栗栖まで8キロ」これまでの経験から時速4キロ程度しかスピードが出ないことを考えると2時間はこの山道を歩かなければならない。やれやれだ。たまに標識が現れるがほとんど距離は縮まらない。この山道は永遠に続くかと思われた。
悪谷、石畳、かご立て岩を通り、ついに栗栖に到着する。「よし、あともう少しだ!」と標識を見ると「廿日市 20キロ」の文字が目に入る。ざっと見積もって5時間である。足の裏、ひざの裏、腰といたるところが痛い。ここからの5時間はまさに地獄である。
県道30号線は小瀬川に続くドライブに最適な道となっている。車やバイクにとっては最高の道かもしれないが「人」にとっては最低の道であった。歩道が少なく、歩いている脇を爆音を響かせた車やバイクがひっきりなしに通っていく。思わず、「うるさ~い!」と声が出てしまった。これまで全く人のいないところを歩いてきた反動からか爆音を上げて走る人々に腹立たしさを感じた。文句を言ってもはじまらない。とにかく足を一歩ずつ前に出すしかない。1歩で50センチ、2歩で1メートル、2000歩で1キロ・・・頭の中で1,2,3,4・・・と歩数を数える。これこそ仏教でいうところのマントラである。言葉に集中して雑念を消す。たまに「イタタ、イタタ・・・」という雑念も入るがやはり今回も修行だ。
「明日の仕事に影響するよ。バスに乗れば?」と頭の中で悪魔がささやく。いかん、いかん。
途中何度か休憩をはさみながら最後の難関である明石峠に到着する。海が見える。帰ってきた。。。本当にあと一歩だ。しかし、またここからが長かった・・・
山陽道の高架下をくぐり、住宅街を歩く。そしてついに旧山陽道との合流点である砂原橋に到着。吉村さんの奥様、ご友人夫妻の祝福を受けながら感動のゴールインとなった。
2日間で23時間、83キロの旅を無事に終えることができた。

津和野街道は廃屋ばかりであった。立派な農家の家を見るたびにここで人が生まれ、たくさんの喜びや悲しみがあったのだろうと想像した。若者が出て行った町は年寄りが施設や病院に入れば無人の館となるしかない。栗栖からは世界が変わった。広島に帰り、翌日には仕事で東京へ。新宿の喧騒の中で二日間の静寂の時間を思い出した。
どっちが幸せなんだろう。色んなことを考えさせてくれた旅だった。

<コースタイム>
5月16日(土)津和野駅 10:00 → 11:50 唐人屋TN → 13:50 柿木 → 17:55 六日市
5月17日(日)六日市 4:30 → 6:30 水源会館 → 9:49生山峠 → 12:10 松ヶ峠 → 栗栖 13:44 → 17:07 明神峠 → 18:26 廿日市
出展:津和野街道【公式ページ】 – 佐伯商工会