奥秩父・笛吹川東沢 釜ノ沢&西ノ滑沢(&大残業)


宮本博夫

日程:2005年10月21日~23日
参加者:菅野、宮本
<行動記録>
笛吹川東沢の釜ノ沢は私を沢登りの虜にした超絶美渓。沢登りの行き先は原則1回をモットーとしている私としては、今回は前代未聞の3回目の遡行となる。それほどにお気に入りの沢と言える。西ノ滑沢は釜ノ沢の1本手前の支流で、出合いが大変美しいスラブ滝となっている。東沢の各支流群はそのほとんどがスラブ滝で出合うが、西ノ滑沢の出合いはとりわけ美しく、釜ノ沢を訪れるたびに次は行ってみたいなと思っていたところだ。今回はこの2本を遡行しようという欲張りな計画を立て、これが後にとんでもない結果を招くことになるのであった。
21日夜、菅野さんと待合わせの相模湖駅に向かう途中(厚木)で、横からいきなり出てきた車にぶつけられてしまい、幸先の悪いスタートとなった。菅野さんと合流後、毎度おなじみとなった三富村の道の駅に泊まる。テントがあちこち広げられて他の登山者も大勢いることを窺わせたが、後で彼らが皆沢登りと判明した。
22日、目覚ましをかけたが全く気付かずすっかり寝坊して6時過ぎに起きる。今週初めに風邪を引いてしまったのだが、そのせいらしい。天気はどんよりと曇って今にも降り出しそうな感じ。天気といえば今回山行は元々前週で計画していたのだが、天気が悪かったので今週に延期した。7:50分、西沢渓谷登山口を出発、暫く歩くと西沢(西沢は有名な渓谷で探勝路がある)が別れて、東沢に入って沢靴をはく。他にも多くの沢パーティを見かける。
東沢沿いにも古い登山道跡があって、部分的にこれをたどりながら進む。途中、「ホラの貝」という発達したゴルジュ帯があり、上から覗く。東沢には数多くの支流が流入するが、目立つものではまず「乙女の沢」、次が2年前に登った「東ノ滑沢」、その次が「西ノ滑沢」、更に進むと「信州沢」と別れ、「釜ノ沢」となる。乙女の沢につく頃までは降ったり止んだりの天気だったが、この後は降らなくなった。西ノ滑沢には11:50頃着いてツエルトを張って、荷物をデポして釜ノ沢に向かう。釜ノ沢までは距離は長いが遡行自体はやさしく、百名山・甲武信岳(甲州武州信州の県境)に突き上げるので、甲武信岳登山のバリエーションルートとしても大変ポピュラーな谷だ。
釜ノ沢に入るとすぐに「魚留ノ滝」があり、これ以降しばらく、滑滝と釜と滑床(「千丈の滑」という)の連続となる。何度見ても本当に美しいところだ。このあたりは紅葉期が最高に美しいというので今回その時期を狙ったが、悪天で一週間遅らせたせいか、ほぼ終わっていて、もみじの赤い葉っぱが滑床帯一面に散っていた。これが滑りまくって、本来ルンルン気分で自由に歩きまわれるはずが、ずい分神経を使わねばならなかった。一旦滝場が終わって暫く登ると、お釜の底のようなところに左右の谷が滝となって出合う、「両門の滝」に到着(15時)。釜ノ沢のクライマックスポイントだ。ここで折り返して西ノ滑沢出合いまで戻る。下る時に両膝関節が痛み出した。先に行った菅野さんよりかなり遅れて、17時過ぎに西ノ滑沢キャンプ地に戻った。
23日、前夜は早めの就寝だったが、この日の朝もかなり寝坊してしまう。
今日の行程は長いので早出するつもりだったのに8:30分の出発。しかし天気は快晴となり最高だ。西ノ滑沢はまず出合いの30mスラブ滝を登る。乾いたスラブはゴム底靴が適しており、下山用の運動靴を履いてペタペタとフリクションで一気に登る。ランニングビレイが全く取れないが、仮にスリップしても大怪我はしなくてすむかな?くらいの一様な傾斜で、幅も広く大変美しい。これを登ってもまた滑滝が続いている。水流沿いにワイヤーが垂れているのでこれをつかんで適当に登ると傾斜の強い大滝が現れる。ここは「ワイヤーを掴んで強引に登れる」とガイドにあるが、そんなものは見当たらない。いや、よく見ると滝の途中までごく細いワイヤーが下がっているが届くようなものではない。この滝の手前で太いワイヤーの束がグジャグジャに汚らしく転がっていたが、たぶん昔は上に引っかかっていたのが、だんだん下に落ちてきたのだと思う。そう言えば出合いのスラブ滝も確か昔は無かったワイヤーが水流左手に延びていて、おかしいなと思った。
さて大滝は右岸を戻り気味に巻くが、この手のスラブ地形の特徴で、水流から離れるほど側壁は急になり、かなり上部の支尾根まで追い上げられる。支尾根に出てもどんどん登らされてしまい、どうも巻き過ぎのような気がして少し戻って強引に下降を試みるが、もの凄く急でとても無理、また登り直す。この頃既に11時近く。予定より時間がおしているので一瞬このまま降りた方がいいのではないかとも思ったが(結果論として今回はそうするのが正解であった)、もう少し登ってみよう。支尾根を登り続けると谷底が近くなり側壁の傾斜も緩んで降りられる目処が着いた。似たような滑滝が連続しているので降りた場所が今ひとつ特定出来なかったが、大滝を巻くのにかなり戻ったので、大滝の少し上に違いない。と言うことはまだ先は長い。
やがて滑滝連続も終わりを告げ、断続的な滝場に変わり、苔むした急な源流域になる。苔がなかなかいい雰囲気だが、この辺りから昨日から不調であった膝の具合が悪化し、痛くてペースが上がらない。情けないことに菅野さんに一部装備を持っていただいた。石塔尾根稜線には14:50分到着。計画時点の目標(12時)より大幅遅れ。ここからの下山は所要5時間であり、途中で日暮れるのは明白であった。
さて、膝が痛いと登りより下りの方がもっと深刻だ。下山は尾根を挟んで反対側のアザミ沢を下るが、沢といっても幸いにも傾斜が緩く、少し窪んでいるだけの小川のような所で本来大変歩き易いところだが、いよいよ膝が曲がらなくなってきて後ろ向きに下ったりして苦労して下る(何故か後ろ向きに下ると膝が楽なのです)。暫くで林道に出る。このまま林道を下れれば気が楽なのだが、それは途中で終わって、昔の森林軌道跡に出て下山せねばならない。この頃に日没(17時)となり、まず軌道跡に移る入り口が判らずに迷う。暗くて標識を見落としていた。標識を見つけても曖昧な踏跡。やがて軌道跡を見つける。しかしあっという間に崩れた土石に埋もれてしまい、踏跡も見つからず、わからずに何回も迷って元に戻る。この先4時間はかかるというのにこんな調子では今日の下山はとても無理と思われ、フォーストビバークを覚悟。しかし装備的には問題はないが、家族が心配するし仕事もあるし、そう簡単に諦める訳にはいかない。いや、このような無理な夜間行動が危険で事故を招くので、慎まなければならないのだが。何度も同じルートで迷うので、どうもこれが踏跡ではないかと考え、一か八か進んでみると軌道跡が復活。結局、崩れたところを迂回していただけのようだったが、暗くなれば踏跡程度ではとても見つけられない。その後は軌道跡だけが頼りだった。
ちょっと進むとまたもや難関。軌道が川を渡るのだが、当然軌道は途切れていて、勘だけを頼りに斜面を川底まで下って川を渡る。渡っても軌道跡を発見出来ない。それらしきところを進むと標識を発見、しかし標識が指す方角には踏跡もなく、川に沿って進むものの軌道跡は出てこない。先ほどの標識まで戻り、標識が指す斜面を強引に登ると、ありました、軌道跡が。その後軌道跡は沢筋が出てくるたびに空中にぶら下がってしまうものの、完全に途切れてしまうことはなく、これを頼りに下ることが出来た。日没時から3時間かかって西沢渓谷探勝の遊歩道(これも軌道跡に付けられたもの)に出た。ここから更に2時間近くかかって、結局は5時間もの大残業の末、22時過ぎに出発地点に到着し、まずは家族に無事下山連絡を入れた。今回山行の核心部はこの下山ルートとなった。
菅野さんにはこの先も大変なご苦労をさせてしまった。既に登り電車がないので、中央線高尾駅のベンチで野宿して始発電車を待つことに。疲労困憊の上、下山後もろくに休むことも出来ずに、山行リーダーとして申し訳ないことをした。
今回ここまで遅くなって、フォーストビバークの危機に見舞われた原因は、言うまでもなく私の体調不良により、寝坊したり、ペースが上がらなかったのに対し、元々よくばり気味だった計画をそのまま続行したせいであった。軌道跡最初の頃の迷いまくったあたりも、暗くなければ容易に踏み跡、ルートを見つけられたはずである。膝関節の故障がなぜ急に起こったのかわからないが、風邪が影響したのかなとも思う。今回は大反省をしております。
P.S.
阿蘇山を上回る大残業だったみたい。

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