夏合宿 明神岳主稜~前穂高岳東壁(北壁~Aフェース)~奥穂高岳 (リーダー) 三谷


三谷

8月13日(火)夜~18日(日)
<参加者>
吉村、平本、徳永、保見、兼森

<行動記録>
後発登攀隊の計画概要は、以下の通りだった。
Ⅰ 明神岳南西稜を五峰台地まで。
Ⅱ 明神岳主峰を越え、A沢を下降して奥又白池に入る。
Ⅲ 奥又白池より前穂高岳東壁(北壁~Aフェース)を登攀し、奥穂高岳へ縦走する。白出のコル穂岳高山荘より、パーティーを縦走隊と登攀隊に分ける。
Ⅳ 縦走隊は、西穂高岳までを縦走。登攀隊は、北穂高岳滝谷第四尾根を登攀する。
Ⅴ 上高地にて後発隊と合流し、合宿は終了。

結果として、登攀に時間がかかり予定の行程半ばにして下山することとなったが、今後再トレースされる方のために記録を残す。

8/14 晴れ
平湯のあかんだな駐車場からバスで上高地に向かう。
本日のテン場は水場がないため、上高地で各自3リットルの水を補給し出発する。河童橋で、互いの健闘と無事を祈り、縦走隊と別れる。河童橋を渡り、観光地の雑踏を足早に抜けて、岳沢に向かう登山道へ。
高原地帯とはいえ、すでに日が高く、少しでも歩けば汗ばむ。火照った体を風穴で冷やしながら、苔むした樹林帯を歩く。そして、7番の標識から、いよいよ明神岳の南西稜に取り付く。
踏み跡は、一般道を思わせるくらいはっきりとしている。バリエーションルートにはありがちな、延々と続く樹林帯の急登。おかげで、一気に高度を稼ぐ。標高2200mを越えるあたりから低木帯になり、岩が露出してくる。工事用のFIXロープが見え始めると、やせ尾根となり、岩稜歩きとなる。
ハイマツ帯から森林限界を超えると、直射日光をもろに浴びることになる。みなさん、寝不足に加えて、強烈な日照りにより、熱中症気味である。そろそろ適当な場所にテントを張りたいところだ。森林限界を超えて稜線に出ると、ほどなくして立派なテントサイトが現れた。この平坦地が、いわゆる五峰台地と呼ばれるところだった。そこには京都のパーティーがすでにキャンプを構えていた。明日、明神岳主稜を越えて奥穂高岳まで縦走するそうだ。
テントサイトを入念に整備し、ツェルトとテントをそれぞれ一張り設置する。
今回は、すべての荷物を背負って縦走から登攀をしなければならない。したがって、装備から食料に至るまで削られるだけ削った。しかし、初日だけはナマモノをという希望があり、豪華なホルモン・野菜炒めとなった。
やがて、西穂高稜線の空が赤く染まり、日没を迎えた。みんな、きれいな夕日に見入っていた。我ながら、良いコースを選んだと思う。ここまでは。
防寒着とカッパを着込んでツェルトに潜り込む。天気の良い日は、明け方に放射冷却となり冷え込む。ザックに足を突っ込むが、それでも寒さはこたえる。

8/15 晴れ(夜半一時雨)
3:00起床、各テントで簡単な食事を済ませて、4:30には出発する。京都パーティーが先行した。 先行パーティーのヘッドランプを目で追いながら、五峰へのたどり方を確認する。出発後、最初の30分、あたりは薄暗く、ヘッドランプの明かりを頼りに歩みを進める。しかし、踏み跡は明瞭、バリエーションルートと思えないくらい歩きやすい。東の空が、淡い青から赤紫色に変化したかと思うと、やがて、感動的な日の出を迎える。
岩稜帯になると、ルートファインディングが難しくなる。二峰までは岩場も安定しており、特に問題となる箇所はなかった。二峰では、懸垂下降を促すように、たくさんの残置スリングが垂れ下がっている。ちょうど、先行パーティーが下降して、ロープを回収し終わったところだ。
保見さんを先頭に、浮き石に気を遣いながら、順次下降していく。ラストの私が下降して、ロープを回収する。先行者がチェックしたときは問題なかったが、ロープが動かない。吉村さんと引っ張るが、やはり動かない。どうやら、下降支点の数メートル下のクラックに結び目が挟まったようだ。後方に単独行者がおられたので望みを託すか。あきらめかけたとき、わずかにテンションが緩んだ。結び目が外れて、なんとか回収に成功。
さて、A沢への下降点は。三本槍の手前を第一尾根側に下りて、ここから見えるドーム状の岩峰の裏側に下りるはず。
明神岳の主峰からは、一回の懸垂下降を交えて、三本槍を目指す。三本槍と言っても、稜線上からは、どの三本なのかほとんど見分けがつかない。トップを行く保見さんが、ルートが不明瞭で行ったり来たりしている。吉村さんと私はトラバース道がないか、分かれて探索する。トラバースの踏み跡はすぐに消えてしまった。結局、素直に稜線上(岩稜)をたどるのが正しかったようだ。
前穂高岳の山頂が近づいて来たので、下降点を通り過ぎないように、踏み跡を確認しながら歩く。主稜線を外れて少し下ったところに、目印となるケルンを確認することができた。A沢に踏み込んだところで、目に飛び込んできたのは雪渓である。傾斜はそれほどでもないが、登山靴で降りるのは難しそうだ。幸い、アイゼンとアイスバイルを持っているので雪渓対策には問題なかった。不安定な場所でアイゼンを装着する。そういえば、横山さんからメールで、残雪が多いという情報があったことを思い出す。
日照りによって雪面が柔らかくなっており、アイゼンによる制動が効きにくい。滑落するとダメージが大きいので、慎重に下る。所々、側壁には懸垂用の支点が設置されている。なるほど、懸垂下降の方が安全かもしれない。50m×3pくらいだろう。
雪渓を抜けて後続を待っていると、踏み替え点手前の支沢から轟音とともに小型冷蔵庫大の落石が起こり、その岩は勢いを増してA沢の滝に吸い込まれていった。A沢では、落石による死亡事故も発生している。踏み替え点からも、不安定なガレを歩かなければならない。やっと悪いガレ場を抜けて、お花畑のある踏み跡に出る。
四峰正面壁や前穂の東壁を一望できる展望台があり、明日のアプローチを確認する。各自、概念図と照らし合わせる。ここから北壁は見えないが、Dフェース独特のツルッとした岩壁は一目でわかる。明日は、奥又白谷を横断し、C沢の大きなチョックストーンを目指す。C沢は岩壁の一部にしか見えず、本当にあんな急なところを登るのか疑問であった。
奥又白池には、無人のテントが一張り張ってあった。池畔には整地不要なほど立派なテントサイトがある。我々は、景色の良いサイトを選んで、テントとツェルトを張る。やっとの思いで、岩壁登攀の舞台に立つことができた。
水場は、徳永さんが発見した。テントサイトから沢沿いに30mほど下った場所にあった。水場を確保して一安心。今日は、遠慮なく飲み放題(飲みホ)である。しかしまた、明日カラカラになるとは予想すらしなかった。
上空の大気は不安定で、頭上は晴れているが、周辺は巨大な積乱雲と黒い雷雲に囲まれている。蝶ヶ岳の稜線は雲に覆われている。縦走隊は大丈夫だろうか。ラジオでは大雨警報が発せられていた。
今日も寒さで眠れない夜を過ごす。しかも、夜半土砂降りがあり、ツェルトが浸水しないか、気が気でなかった。

8/16 晴れ
3:00起床、ツェルト内は激しく結露している。今朝もたんたんと食事とパッキングを済ます。4:45出発。
奥又白本谷を目指して明瞭な踏み跡をたどる。モレーンを越えて雪渓に出ると、目前に四峰正面壁が迫る。
アイゼンを装着する。この雪渓は、慎重に登ればアイゼンなしでも問題なさそうだ。岩場の基部では、クレバスやシュルントが口を開けており、ブリッジを崩さないように通過した。
C沢の出合でアイゼンを外す。浮き石の多い小滝を越えると、チョックストーンに突き当たる。保見さんは、チョックストーンを左岸から直登しようとするが、浮き石が積み重なっていかにも悪そうだ。私は、四峰正面壁取り付きへの踏み跡をたどり、高巻きできそうなので、後続を招く。
そして、昨日確認していた大きな雪渓が現れる。しかも中間が細いブリッジになっていて状態が良くない。再び、アイゼンを装着して登る。徐々に東壁に近づいてはいるが、その後も次々と悪場が現れて、刻々と時間が過ぎていく。
他に壁に取り付くパーティーは見られず、不気味に静かであった。三方向を壁に囲まれるようなすり鉢状の地形になる。脆い岩は、いつどこから落ちてきてもおかしくない。
再び雪渓を渡り、その中間から雪渓を降りてインゼル斜面の草付きの踏み跡をたどると、尾根上に出る。そこから、B沢と東壁の全容を確認することができた。急峻な東壁右岩稜も見えている。崩落した灰色の面があらわになっている。やっと取り付きか…。ここまで来ると、エスケープは困難になる。
インゼルの小ピナクル手前の岩角に残置スリングがあった。ここから懸垂下降を促されているようだ。我々も、捨て縄をセットして懸垂下降の準備を行う。順次、派手に落石を起こしながら下降していく。今回のアプローチでは、気の抜けない状態が続いた。
B沢の雪渓を詰めて小滝を越えると、またもや、ずたずたになった雪渓が現れた。今度は雪渓の上に出ず、右岸のシュルントをすり抜けられないか、保見さんに確認してもらう。ワンポイント狭い箇所があって、荷物がなければ越えられそうだ。空荷で越えて、荷揚げすることにする。その荷揚げがまた難儀であった。
やっとの思いで雪渓を抜けると、Dフェースが目に飛び込んでくる。今回の登攀対象となる、Dフェースの隣の北壁を仰ぎ見る。見た目の地形は、トポの概念図通りだ。極悪のアプローチに疲れ、これから登攀を楽しもうという気にはなれなかった。なぜなら、これから上ろうとしているルートも、見るからに悪そうだ。
北尾根の三峰で登攀するパーティーが見える。ここから北尾根は手に取るような近さである。
B沢上部には不安定な浮き石が積み重なっている。それだけでなく、ハング帯の岩にはいくつもクラックが走っており、今にも崩落しそうである。
予定を大幅に遅れて10:40登攀開始。保見L+徳永F+平本Fが先行、三谷L+兼森F+吉村Fがそれに続く。

1p(Ⅱ級) Dフェース基部のバンドをトラバースし、コンタクトライン取り付き手前を左上して北壁の取り付き点まで。浮き石さえ気をつければ問題ない。
2p(Ⅱ級) 草付きの階段状の岩場を大岩手前まで登る。保見さんパーティーからの落石だけが気になるが、ここまでは特に問題なかった。
3p(Ⅲ級A0) トポに示されたとおり、大岩の基部を右側に回り込み、凹角(チムニー状)へ入る。凹角上部の小ハングを越えるまでが、有名な松高カミンである。
二人が抜けた後、私の番。A0用の古いスリングが垂れ下がっている。確かにかぶり気味だが、岩は比較的硬く支点が豊富なので、クイックドローをつかんで体をあげる。抜け口のガバをたよりにして越えると終わりである。凹角を抜けたところの小テラスでピッチを切る。
ビレーポイントが狭いので、先行のフォローが登り始めたところで、後続を迎える。
4p(Ⅲ級) 浮き石だらけのリッジを上がると、これまた浮き石で構成された大テラスに出る。このテラスより上部は、どこでも登れそうで、ルートが不明瞭になる。保見さんは左の凹角に入っていった。トポに示されている正面の凹角は、傾斜が強く厳しそうだったとのこと。派生ルートは、「フェースを右上→左上して凹角出口で合流する」とある。私はピッチを切らずに、そのフェースを左上、トラバースし、凹角の出口で合流する。途中、浮き石だらけ、しかも、かなりのランナウトになり、神経をすり減らした。Aフェース手前の安定したテラスでピッチを切る。
ここまで来ると、岩が硬く快適な登攀を約束してくれるはずのAフェース。何とか目処が付いたと思うのは早かった。

4p目の登攀
5p(Ⅲ級+) 保見さんは、Aフェースをハングに向かって直上。なんだか難しそうにじりじりと登っている。
とっくに登攀終了の予定時刻を過ぎており、吉村さんと頂上へ抜けた後の話をする。この先、よく行っても穂高岳山荘までだろう。奥穂高岳山頂あるいは吊尾根の最低コルでのビバークもありうる。
私は並行して、テラスをAフェース基部に沿って左方向に移動する。すると、ビレーポイントと頭上に連打された残置ハーケンが見える。スリングも垂れ下がっている。直上を試みるが、傾斜が強く見た目厳しそう。仕方なく、傾斜が緩い箇所を右上していくと、結局、保見さんのルートに合流してしまった。ハング直下の乗越が、頭を押さえられて少々苦しかった。Aフェース1pを終了したところで、すでに17時になろうとしている。
6p(Ⅳ級) 実質最終ピッチ、トポには「岩溝を抜けて緩いスラブへ」とあるので、そんなに難しくないはずだが。しかし、緩いスラブなど見えない。保見さんは、ルートが判然とせず右往左往している。やがて、スラブをトラバースし、左の凹角を登ることに決めたようだ。ロープの流れが悪くなるため、いったんピッチを切り、後続を迎える。ここからは、保見さんのルートの様子は分からない。
私は、時間が押しているため、並行して頭上のフェースを目指す。上部ほど傾斜が強くなっているようだ。とりあえず、残置ハーケンに導かれて上を目指す。岩をたたくと鈍い音がし、すべてのスタンスやホールドが信用できない。
緩傾斜帯に抜ける残り数メートル、手がかりがなく、行き詰まってしまった。時間もなくとっさの判断で、終了点にいる保見さんに、ロープを下ろしてもらうことにする。フォローはゆっくりとだが無事登ってきた。
最後、アンザイレンしたまま岩稜をたどる。保見さんが「頂上に抜けた」と言っている。取りあえずは一安心。日暮れ間際の18時過ぎに登攀終了。不安定な要素が重なったためといえ、時間がかかりすぎだ。
前穂高岳山頂まで最短経路かつ初心者ルートを想定して臨んだこのルート、まさか10年前のクラック尾根登攀のような目に遭うとは思わなかった。いや、ルートの不安定さからいうと、クラック尾根の方が厳しかったと思う。全装備を背負っての登攀に加え、岩の脆さと支点の不安定さが心理に影響しているのだろうが、それを補うくらいの悪場の経験は必要と感じた。
すでに日没も近いため、山頂でビバークすることにした。もちろん、担ぎ上げたのは行動水のみで、水はほとんど残っていない。頂上にはいくつかのテントサイトがある。行動食を軽く食べてすぐに就寝した。夏とはいえ、3000mのビバークも過酷だった。寒さに震え、背中に当たる岩角にもだえながら眠れない夜を過ごす。

8/17 晴れ
3:00起床、暖を取りながら明るくなるのを待つ。昨日の長時間に渡る登攀で体力、精神ともに消耗していると思われ、縦走および登攀の継続は困難と判断、奥穂高岳~涸沢経由で下山することを決めた。とにかく、穂高岳山荘まで歩き、カラカラになった体に水分を補給しなければならない。
空が白んでくると、富士山のシルエットがほのぼのと浮かび上がる。
薄暗い中、まず、紀美子平の分岐までガレ場を慎重に下る。吊尾根がどんどん離れていくため、岳沢に下っているという感覚があり、何度か地図を確認したが、問題なかった。岳沢への分岐から、大きくトラバースして最低コルへの分岐まで達した。
メンバーは、前日のほとんど飲まず食わずの12時間行動によって相当消耗していると思われるが、最後まで集中力を切らさず歩き通した。これも、日頃のトレーニングによって培った精神力である。
吊尾根の途中、多くの韓国人とすれ違う。「こんにちは」と挨拶をすると「アニハセヨ」と返ってくる。奥穂高岳山頂には、やはり韓国からの登山者であふれており、吉村さんは思わず、「ここは海外の山みたいだ」ともらす。
おなじみジャンダルムの頂上には登山者が見える。そして、反対側に目をやると、稜線の先に槍ヶ岳、すばらしい景色だった。今回の最高点で記念写真を撮って、下山にかかる。人気の山とあって続々と登山者が登ってくる。幸い、穂高岳山荘に下り立つ梯子はさほど渋滞しなかった。

穂高岳山荘の石畳のテラス、別天地だ。
お茶を沸かし、昨夜食べなかったご飯を作って食べる。お腹が落ち着いたところで、空荷で涸沢岳を往復する。今日も天気が良く、槍ヶ岳までの稜線が見渡せる。積雪期限定ルートである涸沢岳西尾根、滝谷のドームなどを説明する。滝谷は、ここからは遠すぎてよく分からない。
名残惜しさもあるが、山荘をあとにザイテングラードを下る。今年は残雪が多く、登山道が一部雪渓の下に隠れていた。
涸沢のテント村には連休終盤にも関わらず、多数のテントが張られていた。
登山者の少ないパノラマコースで下りたかったが、残雪が多く、通行止めとのこと。仕方なく、往来の激しいいつもの道を下る。本谷橋の清流沿いでは、多くの登山者が涼んでいた。橋を渡って程なくすると、青白く輝く屏風岩が見えてくる。
横尾に着くと、みんなベンチにへたりこむ。新村橋の分岐からは、奥又白や前穂高岳が写真の背景のように目に映る。そして、今までのビバーク地からすると、オアシスのように見える徳沢に到着した。芝の上にテントをはり終えると、ささやかな?打ち上げを行った。
久しぶりに緊張から解放され、安心して眠りについた。

8/18 晴れ
4:00起床、のんびりと準備を進め、縦走隊と合流すべく上高地に向けて出発する。地図を引っ張りだし、明神の山並みを見つめながら歩んできた道のりを振り返る。いろいろ経験したことを省みて、次の山への気持ちを新たにした。
まだ人通りの少ない河童橋を過ぎると、上高地のバスターミナルだ。みんな元気で無事再会を果たした。疲労は隠せないものの、それぞれに充実した顔をしていた。帰りの車中では、お互いの苦労話の花が咲くのであった。

<コースタイム>
8/14 09:57 駐車場出発 10:50 上高地着 11:48 No.7標識 15:40 前穂五峰台地
8/15 03:00 起床 04:40 テン場発 4:53 五峰 05:34 四峰 06:40 二峰 07:00 明神本峰 10:47 A沢下降 12:27 踏み替え点 13:59 奥又白池
8/16 03:00 起床 04:45 テン場発 05:26 本谷 10:40 前穂北壁取り付き 18:25 前穂高岳(ビバーク)
8/17 03:00 起床 03:54 出発 07:07 奥穂高岳 07:52 穂高岳山荘+朝食 09:47 涸沢岳 10:28 穂高岳山荘 12:05 涸沢 13:00 新村橋 15:00 横尾 16:02 徳沢
8/18 04:00 起床 05:40 出発 06:30 明神橋
07:30 上高地 08:00 あかんだな駐車場 18:30 広島
(記録:保見・兼森)

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