夏合宿総括編(槍・錫杖)


横山正雄

№3907 2009夏合宿(槍・錫杖)  横山

月日8月8日(土)~11日(火)
<参加者>9名 縦走;武田、中島、野田あいこ、岩;神庭、宮重、野田岳人、赤井、名越
<内容> 今回の夏合宿の内容は、参加者予定者の休暇の予定や、ルートの状況などを勘案して、日程案そのものは、総会後の懇親会の席上でほぼ決定しました。
登山の形態は、縦走(槍が岳~笠が岳)とクライミング(錫杖岳)の2種類です。
係にとっては、久々の合宿参加ということで、今一度原点に帰り、例会山行とは違った観点で計画をリードし、諸先輩から引き継いだ「合宿とは何ぞや!」を継承することに重点を置きました。その「何ぞや!」は、おおむね次のとおりです。
1真摯な姿勢で山登りに対峙すること。
2中堅会員の自主性を重んじること。
3合宿により、さらなるチームワークを向上させること。
以下、上記3点に沿った行動概要を述べてみます。

1真摯な姿勢で山登りに対峙すること。
については、参加申し込みの締め切りを、7月8日の山の茶話会までとし、それ以降の例会山行では岩登りを中心に4回計画し、さらに個人山行トレーニングを加えて、合宿に備えることとしました。
また、合宿入山後は打ち上げまで、禁酒としました。

2中堅会員の自主性を重んじること。
については、(岩)神庭さん、(縦走)武田さん、がリーダーを受け持つこととし、係は両隊をまとめる役を引き受けました。
特に岩登りに関しては、各人で山域の研究をしていただき、登りたいルートを申告する全員参画方式をとりました。

3チームワークの向上
については、チームワークが混乱するような要素は計画段階で修正することにしました。特に岩登りでの食糧計画における行動食は、今流行の(自分の食べたい物を日数分各人で用意する。)を、→旧来の(全員同じものを持ち、食べる。)に修正してもらいました。
過去の登山事例において、個人装備の重量差や、毎食の食べる量の違い等、ほんの些細な個人差が、隊の崩壊につながった例が多く見分できるからです。(名越さんは、特に食器の大きさに拘りがあるようで、全員同じ食器を持つべき!だそうです。)
また、食料の嗜好に関しては、計画段階で意見を出し合い、メニューに反映させるべきでしょう。
皆と違う物が、ザックの雨蓋からコッソリ出てくるようでは、その隊は空中分解の可能性が大ですよね。
そういえば、係が全盛期のころ、継続登攀時などで、岡本隊員が重いカメラ(数十万円相当)をいつも首にぶら下げていましたが、絶対バテタと言いませんでしたね。バテたら「カメラ捨てろや!」と言われるもんね。根性あったよあの頃は。
一週間、二週間、一か月と登山期間が長くなればなるほど、このような些細な行き違いに目を配る必要があると言えますね。
合宿は、例会山行の延長線上に位置していますが、一方、長期登山の入り口にも位置していると言えます。われわれの世代は、合宿という機会を利用し、登山技術の練磨はもちろん、併せてチーム登山のノウハウを試してきたのですね。
合宿の形態や方法はいろいろあると思いますが、今回は、久しぶりに横山が係を務めさせていただいた関係上、先輩スピリッツの伝達役を務めさせていただきました。ゴリ押ししたかも、ごめんね!
さて、前座はこれくらいにし、ここからは具体的な山行報告に移ります。
8月7日(平和記念日の翌朝)9:30中筋のマクドナルドに7名(後発;赤井&現地合流;中島を除く。)集合し、神庭母子のお見送りを受けて出発しました。車は2台(デリカ&デミオ)でETCの広島千円ゲートを勢いよく通過し、計画書のとおり、19:25には新穂高の手前に位置する中尾温泉入口駐車場に到着しました。現着と同時に中島さんから連絡が入り、今、新穂高温泉バス停に降り立ったとのこと、久しぶりの再会です。
明日7時には、ここを立つ計画です。縦走組、岩登り組それぞれ充実した山行ができるよう祈りながら深い眠りにつきました。
8月8日4:30起床。素早く朝食を済ませ、5:30には縦走組(槍が岳~笠が岳)の送迎を済ませ、岩登り組は5:50には錫杖岩場に向けて出発しました。
槍見温泉館の裏から、思い出のあるクリヤ谷へと歩みを進めていますと、瞬間何やら蝉のおしっこのようなものが頬にあたりました。こんな早朝に蝉が活動するのは変だなと思っていると、そこらじゅうにおしっこがパラパラと落ち出し、やがてそれは我々の最も歓迎しない「雨」となり、あわててカッパを出す羽目となりました。それでも渉沢箇所あたりではその雨も一旦上がっていましたが、クリヤ谷と錫杖沢の出会いに近づいた頃より一層激しく降ってしまい、本日のクライミングは早くも諦めざるを得なくなりました。
錫杖沢の左岸には巻き道がついており、これを辿って係が錫杖岩屋まで上がってみると、誰も使用していません。(ヤッタネ!)早速全員を誘導し、9:30岩屋の下に2張りのベースキャンプが出来上がりました。
半日遅れで入山する赤井さんを迎えるべく、名越さんがクリヤの出会いまで下山しましたが、ドッキング不可。やむなく一人で引き返して来られました。昼過ぎになると雨は上がりましたが、壁の状態は相変わらず号泣状態です。明日のクライミングに備えて、取り付き点の偵察に出かけました。
先ずは前衛壁の最も西にある「注文の多い料理店」からです。明日このルートに挑戦するのは(宮重、赤井、名越)パーティーです。今日の状態では手が出ないようです。そこから東側に順次偵察してみると、各ルンゼは沢足袋がいるほどの水量があります。午前中の降雨だけでなく、聞きおよぶ昨日の集中豪雨の影響が今だ残っているようですね。
偵察の結果、神庭組(横山、野田岳人)にあっては、明日のルートを「左方カンテ」と決めベースに帰りました。
日中の行動量が少ないため、Hiカロリー行動食の消化量は思わしくなく、胃もたれがしている状態で、18:00には夕食を摂りました。(明日こそ!)との思いで19:30には就寝です。アル抜き状態第1日目ですが、特に禁断症状は現れません。
8月9日 4:00起床。「昨夜嫌な音が暫くの間していたよ。」とのこと。付近のブッシュを観察すると朝露の域を超えたヌレヌレ状態です。でも今現在は降っていないようです。
5:15には出発し、神庭組は目的の左方カンテへ、宮重組は料理店へとそれぞれ歩みを進めます。(でも壁の状態は昨日の偵察時より悪いと思うよ!)左方には、たぶん他の後続パーティーがいることから、宮重組に対しては、「ルートの状態が悪いようであれば、速断して神庭組の後を追従するように。」念押ししました。予想通り続々と左方にクライマーが集まり出しましたが、宮重組は間一髪、神庭組の後尾に入り込むことができました。
6:00 神庭組登攀開始。10:00には7P目に到着しました。
詳しい内容は野田さんの報告に委ねます。その後は、料理店ルートを懸垂下降し、11:20北沢のガレに降り立ちました。
宮重組の下降終了を待ち、全員でベースに向け下降を開始し、13:40ベースに到着しました。
8月10日 4:00起床。雨強し。期待していた好天は一日もなく、挙句の果て、今日は太平洋側に台風の出現です。兵庫県ではゲリラ豪雨で大災害が出ています。予定では、今日の15:00にクリヤ谷の出会いで縦走パーティーとドッキングし、打ち上げをする予定ですが、沢の流量が増えると渉沢が困難になることから、縦走組に対して携帯メールにて(エスケープして下山するよう。)連絡しました。返信メールによると(予定を変更し、笠が岳登頂後、わさび平に下山する。)とのことであり、私達も安心して、雨の中を中尾温泉に向け下山を開始しました。
槍見温泉に降りた時は、既に雨は上がり、橋下の露天風呂にもお客様の姿が覗えます。私達は本日のキャンプ場を模索していましたが、中尾温泉キャンプ場がオートキャンプ場であったことから、早々にわさび平までアルバイトすることに決めました。荷物の整理をして、新穂高温泉の駐車場まで車を移動し終えて、さて、わさび平へと歩き出そうかと思ったとき、「何か赤い警報ランプが灯いているんですけど?」との直子さんの訴え。ここからがハプニングの始まりであります。
見るとデリカのインジケータランプが(充電したくない!)と言っている。
ヒューズブルリンクやVベルトなどすべてを点検しても外観上異常なし。神庭さんの「電圧計は?」とのダメ押しの一言。(8Vでーーーーす。)
(逝っちゃったよ、オルタネータちゃん。)
サービスリストから修理工場を検索するも、直近(高山市)の店舗は既に盆休み。他の岐阜県内の営業店舗にアクセスするが、部品供給は盆明けの17日以降の対応です。(冷たいお言葉。)
「帰広不能!」この4文字がそれぞれの脳裏ハッキリと浮かんだ瞬間です。全員顔面蒼白となりました。しかし、この緊急事態を突破されました。キーワードは(デミオ)です。このデミちゃんを駆って2名の斥候(横山&野田)が高山に赴き、電装修理の受け入れ工場を探し出すことに成功したのです。
社長の「あんたらー、1,000円で来たろ。じゃけーこうなるんよ!」とのキツイ一言。「すいませーん。でも帰りは定価でーす。」
デリカのバッテリー温存のため、新穂から高山までのトンネル(数か所)を無灯火で回送することになります。事故を回避するため、デミオは、とって返してデリカを先導して工場へ入庫させました。
16:00修理完了。1時間の道のりを安心して引き返し、4名でキャンプ地わさび平へ赴きました。
その夜は、合同打ち上げです。安心したせいか?禁酒の反動か、わずかなアルコールで脆くもダウン。
あっという間に静岡地震の早朝を迎えました。「揺れたね!揺れたよ。」朝食を取り終え7:00に新穂に下り、旅館の温泉に浸かった後、ロビーのTVで事態の深刻さを目の当たりにしました。
兵庫県の豪雨災害と静岡県の地震災害が2元中継されています。テロップは流れっぱなしです。
町は大変です。私達も一刻も早く帰広すべく高山から定価の高速道路に乗りました。
18過ぎには広島に帰りつき、神庭母子にご主人をお返しいたしました。ご協力ありがとうございました。また行きましょう。