冬合宿(前穂高岳北尾根~涸沢岳西尾根)報告ダイジェスト版 12月27日~1月1日


三谷 和臣

参加者 児島、神庭、田房
12月28日
天気:晴れ 気温:-10℃(上高地)
 4:30沢渡に到着する。6:30まで仮眠をとり、タクシーで中ノ湯に向かう。釜トンネルは拡張の工事中で、今までの暗いイメージはなくなっていた。トンネルを抜けると焼岳や穂高連峰が見え始めた。
 新村橋を渡り対岸の林道から奥又白へと続く中畠新道へと進む。慶応尾根の末端へと取り付く。コンスタントに高度を稼ぎ幕営予定地点に到着した。P2514手前には2パーティがキャンプしていた。パノラマ新道と合流するコルの手前で幕営する。
12月29日
天気:晴れのち吹雪 気温:-5℃(慶応尾根)
 4時起床、6時半出発。気温は高く、東の空は朝焼けで赤く染まっており、天気は思わしくない。
 慶応尾根は北尾根に向けて徐々に傾斜を増し、8峰への最後の急な登りとなる。8峰手前の風のない場所で、アイゼンを装着する。6峰手前のナイフリッジと6峰直下の灌木混じりの雪壁はロープを出して登る。下を見ると3パーティーが6峰基部へ近づいている
 5/6のコルで小休止し、予定通り3/4のコルへと進む。4峰頂上直下の岩場は、ビレー点のあるテラスを奥又白側に10mトラバースし、急なルンゼを登っていく。4人がテラスに着いた頃、辺りは暗くなり始めていた。連続した降雪で雪の状態が悪く、予想外に時間がかかった。テント3張りが奥又白側の斜面に張ってある。我々は涸沢側をスコップで掘り出して、テントを設営する。吹きだまりとなっているため、寝るまでに半分くらい埋まってしまう。
12月30日
天気:吹雪のち晴れ 気温:-12℃(3/4のコル)
 6:30起床するが、相変わらず雪は降っている。まずは雪かきをするついでに外の様子を見ることにする。一晩で1mは積もっただろう。今日の行動は無理か?しかし、風は弱く、徐々に明るくなり視界が開けてきたので、動くことにする。3峰には新雪がべっとりついている。2人パーティがまず先行していった。ガスが晴れ、青空が見え始めた。ここは早く確実に登れる神庭君にロープを伸ばしてもらう。
 1P目、児島さんのアドバイスに従って正面より左のルートを登ろうとしているが、ルンゼは新雪のため状態が悪くあきらめたようだ。結局、下見と同じ凹角のルートに行った。予想通り凹角に入る所が難しい。
 2P目、凹角の途中で4人が集まり、すぐに2P目を伸ばしていった。ところが、神庭君が出だしで、5m位滑落。幸い怪我はないようだ。凹角を抜けて、リッジ沿いにチムニー基部まで上がる。
 3P目、雪のつまった左のチムニーを登る。
 4P目、先行パーティのセカンドが登ろうとしているところだった。ルートが解らず一旦引き返したそうだ。トップはザックを置いて登り返すようだ。クラックの走った傾斜のきつい凹角であるが、早く登るためにザックを置いて登る。
 5P目、神庭君と私が同時に3峰直下の基部を目指して傾斜の緩いルンゼにロープを伸ばす。
 6P目、大岩の乗越しを空荷でこなしてやっと頂上に達した。
 3峰から2峰の登りは雪の状態さえ良ければロープは不要だろう。トップが2峰の頂上に達したところで、時間切れで3峰頂上まで引き返すことにした。ロープは翌日のために2PほどFIXした。風が強いものの、雪を掘り出せば快適なテント場ができあがった。
12月31日
天気:吹雪 気温:-18℃(前穂高岳)
 7:00起床、吹雪。9:15出発、FIXを使って素早く登り、2峰の下りは懸垂で下降する。
 神庭君が本峰と2峰のギャップを懸垂下降で越して、本峰の途中までロープを延ばし、FIXする。児島さんと係はロープを回収しながら後を追う。残り1Pをロープ1本で登ると頂上に達した。頂上は吹きさらしであり、幕営には適さない。取りあえず、第一の難所を突破した。わずかな風よけで行動食を食べる。強風に備えてゴーグルを着用し、フードを深く被る。
 最初の夏道の標識からトラバース気味に下降していく。吹雪いているが、視界はさほど悪くない。岳沢側からの風が強く、手で顔を覆いながら進む。一部、雪崩の来そうな斜面があったため、一人ずつ慎重に通過する。クライムダウンとトラバースを繰り返すと、見覚えのある奇岩に達する。ここからは稜線通しに下るので問題ない。最低コルの岩陰で一休みする。
 奥穂高岳への登り返しでは、トレースはなく、膝上の苦しいラッセルとなる。鎖場のあるスラブは、雪に埋もれて解らなかった。時折阻まれる雪庇を崩しながら登ると南稜の頭に出た(16:40)。祠の手前にはテントを張れるスペースがあるが、強風のためまともな幕営は望めそうになかった。日暮れ間際であったが、今日は小屋でゆっくり休みたいという思いがあった。
 針で刺されるような風雪を顔の露出部に受け、困難な下降となる。すぐ暗闇になりルートを探しながら下る。神庭君がトレースを見つけるが、いつの間にか見失ってしまう。コルを過ぎて下降しすぎている可能性がある。田房さんが遠くの方に小屋のものと思われるおぼろげな明かりを見つける。明かりの位置を考えると、尾根を外れてしまったか・・。これ以上の行動は危険と判断し、僅かなスペースにビバークすることにした。装備や身体が滑落しないようアンザイレンした。すり鉢状のスペースにテント本体を広げた。シェラフやマットを広げて膝、背中にかける。特に入り口からの隙間風で足が冷たく、コンロをつけ暖を取る。
1月1日
天気:晴れ 気温:-18℃(ビバーク地点)
 周囲が明るくなったので行動を開始する。吹雪もいつの間にか収まったようだ。何と小屋が目の前ではないか!しかし、若干尾根を外れ、ネットの一部が上部に見えている。昨夜の吹雪は嘘のように晴れ渡っている。急な氷雪の斜面を慎重に登り返すとトレースが見える。ハシゴの近くには下降支点があるので、安全策をとり懸垂で下りることにした。50mの下降でコルに達した。体勢を立て直すため小屋に入り込む。田房さんの顔の頬や手の指が変色しており、足の方も気になる。
 11:00過ぎ、小屋を後にして涸沢岳の登りに差し掛かる。北穂や槍への縦走路が延々と続いている。ジャンダルムや滝谷が青白く輝く。
 FIXロープが張ってある岩稜を過ぎるとすぐ樹林帯に入る。樹林帯に入って2時間弱、安全地帯に下りた。あとは、林道をひたすら歩く。日暮れ間近新穂高温泉のバスターミナルに到着した。
 下山連絡、タクシーの手配を終え、暖房つきの便所でしばらく休息する。田房さんの凍傷が心配だ。足の指が紫色に変色し、特に親指の状態がよくないようだ。沢渡まで戻り、救急病院を探すことになった。病院での診療はあっけなく終わった。患部を暖めるためのカイロを購入し、帰路につく。
 関学WVの遭難騒ぎがあった。マスコミが過剰に騒ぎ立てる中、計画の無謀さに対する批判があった。記事を読むだけでは真実はわからないが、たいていの人は気象に対する認識が甘かったという。非日常の行為をする登山者にとって、風雪、あるいは寒さは、経験に頼ることが多く、適応するのは困難である。彼ら(自分たち)なりの精一杯の行動だったと思うが、遭難に対する社会的責任の重さを感じる出来事だった。

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