スキー&登山 2004.5.2~5.5


吉岡 好英

<参加者>久保(京)、竹本、会員外:磯部、横野
 5月1日 20:30横川駅北口を吉岡の運転で出発。名神・多賀SAで竹本に運転を交代。
5月2日 富山付近からは立山連峰や剱岳がよく見えており、天気は申し分なさそうだ。立山駅からは直通バスで室堂へ。残雪は例年より少ないが、最近新雪が積もったのか、残雪の中にいちだんと白い場所が見える。室堂で立山縦走をして、剣山荘へ泊まる久保さんと別れる。残る4名は雷鳥平でテント設営。昼食後、山崎カール滑降の準備をしていると後輩の奈須がやってきた。彼はたった今、山崎カールを滑ってきたと言っている。上部はクラストしていて止めたほうがいいらしい。それならばと剣御前小屋から滑ろうと奈須を誘う。滑降する3人と歩きの2人で雷鳥坂を上がる。上空の飛行機雲を見ると、明日の天気は悪そうだ。しばらくの休憩後、歩いて下りる2人を先に出発させる。竹本と吉岡はフリートレックで、奈須はボードをつけて快適に滑り降りる。体力の衰えで何回も休みながらの滑降だが、後ろを振り返ってシュプールを見ては感激の連続だ。休みながらでも20分で雷鳥平のテントへ帰る。歩いて下りた2人は1時間後に帰ってきた。
5月3日 4時起床。5時頃、外を見ると昨日の予想通り、辺りは深いガスで視界はなし。6時、剣山荘に宿泊の久保さんを無線機で呼ぶが応答なし。尾根の向こうでは届かないのだろう。今日は久保さんと合流して剱岳へ登る予定だが、この天候では動くことは?だが、連絡を取るために別山乗越しまで移動のため出発。天気の回復を期待して、装備は持っていく。15分くらい登ったところで雨具を忘れたことに気づく。午後からは雨になりそうなので取りに引き返す。御前小屋前は待機の登山者であふれている。風もかなり吹いており、しばらく様子を見る。その間も無線機をオープンしているはずの久保さんを呼ぶが応答はない。県警の無線機を借りて試みるがダメだった。剣山荘へ電話をと思い公衆電話を見るが、故障中の張り紙。この天気では動いていないだろうと判断し、雷鳥平に下りる準備をして山小屋から外に出ると、うっすらと青い空がチラっと見えた。明日の天気は大荒れになるだろうと予想して、今日のうちに久保さんを連れて帰ることにして、御前小屋の位置をGPSにセットして剣山荘に向かう。その頃から視界は開けて、剱岳も見えるようになった。剣山荘で久保さんの宿泊を確認すると、剱岳に行ったようだと聞かされる。11時頃、天気も気になるし、竹本を剣山荘に残し、様子を見に登る。下山してくる登山者に聞いてみると、それらしい人を見かけ、30分くらいで下りてくるはずだと言う。ピークの上で前剣の雪稜を下りてくるのがよく見えるが、2時間待っても下りてこない。雨も降り出したので、いったん剣山荘まで下りる。元気ならば悪い場所はないので、雷鳥平へ帰ることにする。剣沢近くまで帰るが、やはり気になるので竹本を先に帰し、再び剣山荘へ引き返す。待つこと2時間、久保さんが下りてきた。今夜も剣山荘に宿泊予約を入れていたが、明日の大荒れの天気を気にして、剣御前小屋まで帰ってもらうことにする。剣御前小屋に到着。日没までにはまだ時間もあるので、今日のうちに雷鳥沢ヒュッテに入ることにする。下りるルートの説明をして、フリートレックをはく。20分でテン場へ帰る。久保さんは1時間遅れでヒュッテに到着した旨、奈須が伝えに来てくれた。どうせ明日は大荒れだろうと、撤収は早めにすることを話して就寝する。夜半から猛烈な風が吹き、一晩中テントのフレームを押さえながら、横になっているだけだった。
5月4日 やはり朝になっても暴風雨。テントのフックが外れてつぶれかかる。パッキングを指示していつでも外に出られるよう、準備をしているといちだんと強い風が吹いてきた。風上側に座っていたワシは一瞬、もち上がりテントは押し流され移動、そしてつぶれた。。4人と荷物があるのにすごい力だ。何とか外に出てフレームを外し、これ以上の被害をおさえる。フレームは曲がっていた。何とかテントを撤収し、室堂バスターミナルへ。容赦なく吹く風で何人も飛ばされていた。バスターミナルで久保さんたちと合流し、室堂を後にする。下山後は亀谷温泉で汗を流した後。富山でマスの寿司購入と食事をして帰路につく。
5月5日 午前1時過ぎ、広島に帰る。

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