雨の宮島


吉村

NO4170 宮島縦走(登攀を雨の為変更)
7月12日(土)~13日(日)  (係)吉村
安藤、三谷、保見、元廣、平本、兼森
NO4171の縦走は参加者がなく中止
<行動記録①>
 夏合宿に向けて宮島の駒ヶ林の岩壁で、人工とフリーのマルチピッチ練習をやるぞ!この心意気は、土曜の朝の翌日の天気予報を見てしぼんでいった。それまでは雨の予報はなかったのに。
 それでも一縷の望みを持って12日土曜日の夕方5時に宮島に渡った5名は、大元公園の奥まった川沿いの涼風の流れるテーブル・ベンチに陣取る。小宴の準備に取り掛かると平本さんも到着した。明日のパーティー分けをして、「核心部はどこで、どんな動きが必要か」と話が盛り上がってきた7時半頃、ポツポツと落ち出し東屋に転進した。この時点で明日の岩登りは消えていった。明け方には土砂降りの雷雨となり、心は「もうどうでもいい」状態での起床だった。                        (吉村:記)
<行動記録②>
私以外の吉村達、登攀組6名は、前日の名越を偲ぶ会を終えてから直行し、大元公園で前泊。今後の山行について大いに語り、大いに盛り上がったようだ。しかし、明け方のバケツを引っくり返したような土砂降り雨で、戦意消失した模様。同時に例会の予定にしていた、岩船山縦走も参加者が一人もいないので中止しようかと思ったが、誰かが冗談半分で、「例会なので一人でも雨でもやらんと」と言った。確かに、これが山岳会のポリシーじゃ。私は土曜夜が他の用事があって、前夜は残念ながらパス。その代わり、張り切って、係り自ら、ソーメンを作り、朝は5時に起き、オムスビをつくり、傘を差して大元公園に合流。相変わらず雨が降っていて、意外にも私が来たので、帰ろうにも帰れない、ありがた迷惑な感じであった。
余談だが、大元公園でキャンプといえば30~40年前、、酔っ払った三好さんが、蚊帳をかじった鹿を石を持って追っかけて、顔面血だらけで帰ってきたのを忘れられない。しかも、6枚重ね三段の板茅葺の屋根で由緒ある大元神社に上がりこんでの大宴会であった。なにかに付けて、大らかであった、あの頃が懐かしい。
皆は、登攀道具をいっぱい持っていて、重そうだ。私は食料だけ。結局、岩船の縦走は止めて、例会ではめったにいかない、前峠ルートを縦走。
私が登山教室のおばちゃん達を、ルートファンティングと岩場歩きの練習で、時々連れて行って、晴れていたら瀬戸内海の多島美が満喫でき、喜ばれるお勧めのコースである。しかし、ガスで視界ゼロ。ゆっくり歩き、休憩たっぷり、昼食は安藤のソーメン、帰りは懇意なミヤトヨ本店に立ち寄り、チーズ紅葉饅頭でおもてなし。
偲ぶ会では、かつての広島を代表するクライマーに多く、出会った。そんな中で、数少ない現役を続けていた名越が、もうこの世にいない。否、80歳過ぎても、まだ続けている、平田さんがいた。より厳しい、より高い山を目指した、刺激的な志は、今回のような平凡な山では、心が満たされない。年齢とともに、自然に遠のく。でも、何とかして、この初心の山の喜び・楽しさを忘れず、続けたいし伝授したいものだ。我々は、昨日あったI君のように病気にならず、健康で本当にありがたく、感謝する。生かされていて、今後も何か社会貢献でもせんと、もったいない。
最近、若い人が多く山岳会に入り、面倒も見切れないので、年齢制限も復活した。そのため、三倉や天応以外の普通の山の計画もし、オールラウンドに盛り上げたい熱い想いであったが、参加者は同じ仲間であった。嬉しいような残念のような感じ。
特に若い人は、まだ自分に合う、合わないが分からないと思うので、選択せず、がむしゃらに全てに参加して欲しいものだ、と歩きながら感じた。    (安藤:記)
<タイム>
大元公園8:02~8:44休憩8:51~8:58前峠~9:00岩船山分岐9:10~9:36焼山9:50~9:54登山道と合流~10:05駒が林10:16~鯨岩10:34~彌山めぐり~10:50彌山展望台11:28~12:20紅葉谷~饅頭買い物~13:10桟橋(運よく、また雨が降り出した)

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